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国益の為なんじゃ

どうも村田です

ナチスドイツと戦いたいと

フランクリン・ルーズヴェルト

は思っていたのだ

とりあえず追いやられている

アメリカ、ソ連を助けるには、

ヨーロッパではもう始まっている

第二次大戦にアメリカを

参戦させてくれたんだ

せっかく、大義名分がないから、

日本をいじめて、いじめて、

いじめ抜いて、そしてこの

独伊三国同盟を逆用して

勝負裏のドアから、

バックドア(バック・ドア)

から第二次大戦に参戦

したかったということなのだ

これがルーズヴェルトの

正直であったと思うのだ

日本はいはいに使われて

過ぎたという事でも

あるのだ

別の準備をすれば、

日本も忍んで自重して耐える

もしアメリカと戦争を

しなくても済んだ

というオプションも

あったということなのだ

これが非常に大事な点

だったという迫力

思うのだ

これに関しては日本国内において、

日本特に軍隊、海軍の中

一部もありましたが、陸軍

限界派の中に、

アメリカとの戦争をやりたい

という人たちが多かった

ということなのだ

日本のその統一統制派も

操ってたのは、実は

コミンテルン(コミンテルン)

それではなかったのですが、

ということになるのだ

第一次大戦と第二次大戦と

ひとつながりのものとして

日本は第一次大戦に参戦して

戦勝国側であったからだが、

とかこういう見方を忘れる

がちであって思うのだ

二番目は、これは一般論ですが、

戦争とはそれぞれの国が

国益のために行うもの

なのだ

したがって、各国にはそれぞれ

各国の正義があるわけで

だから、日本は日本の国益の

のために戦争をせかえ

と思ったのだ

ドイツもそうだったのだ

アメリカもイギリスも

そうだっただろう

その点においては、

国際法的な立場は同じのだ

ただし、ナチスドイツが

やったユダヤ人迫害は、

これは戦争とは直接関係

ないのだ

戦争、戦場でやったこと

ではないのだ

ユダヤ人たちを集めて

迫害し、多数の人を親切にし、

罪のない人たちを殺した、

これは許されることでは

ないのだ

だけど、これは戦争行為

とは別の行為であるのだ

適宜で殺したわけではない

ないのだ

だからこれは

ナチスドイツが持っていた

体質的な悪ということで、

弾かなくてもいい

しかし、戦争という行為に

限界って思って、各国が

それぞれの国の益を考えて

やることであるから

どちらが一方的に善、

どちらがどちらか悪い

という見方は、これは

間違っていると思うのだ

ただし、どの国も全力を

尽くして戦争に勝った

なけられないから、

国内のプロパガンダをやり、

宣伝戦をやるのだ

他人、自分の国は

絶対正義であり、かの国

敵国は絶対的な悪である

というプロパガンダを

やるのだ

日本はやったのだ

アメリカもやり

イギリスもやったんだ

しかし、そういうことに

ついては、客観的に見れば

それぞれの国はそれぞれの

国益のためにやった戦争

だからあるということなのだ

戦争に関しては絶対善、

絶対悪を持ち出すのは

そうなのは、

一般論として置いてて

おく必要があると思うのだ

それから、日本のシナに

対する普及、対

支那事変から始まる

日支事変だけど

という日本は、

日清戦争後、日露戦争後、

シナ大陸に多くの権益を

持っていたのだ

そして、そこに当時は

ちゃんと安定した

中華民国という国が

あったわけではないのだ

地方の政府もバラバラで

四分五裂しております、

外国の治外法権の疎開、

フランス疎開や

イギリス疎開など、

もしかしたらあった

わけなのだ

まさか所に日本は、

経済権益だけあったのだ

南満州鉄道が停車し、

日本人が全国に普及して

商売をしているという

ことなのだ

そのとき、注目運動が

起きて、この目立つ運動の

向こうにあったのは、

痛みの共産主義、

コミンテルン(コミンテルン)

の謀略であり、同時に

イギリス、アメリカが

やっていました

イギリス、アメリカは

主に蒋介石国民党を操って、

日本人を弾いたのだ

これに対して日本は当然

合法的に獲得した権益であり、

そこにいる日本人を保護する

しなければいけない

ということで、守ると

いうことで、日本と

中華民国国民党との間

軍事紛争があったのだ

しかし、この支那事変

そのものが直接の

日米戦争の原因では

なかったんだ

これも大事な所であり

その前の状況、

フランクリン・ルーズヴェルト

政権の前においては、

日本満州における

特別権益は認め、

それから各地における

日本特殊権益、

まさかのものを認めます

ということがアメリカの

態度であったのだ

思い、最後の

ハルノート(ハル・ノート)

においては、シナ独特

から、全部引き揚げろ

ということが言われてきました

ですので、

最後はルーズヴェルト政権

の謀略により、これが戦争の

火種にされてしまった

あるのは事実なのだ

そのときでも、日本が

戦争を避けようと思い、

ないろいろやりようが

あったと思うのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしいる

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