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どっかいっとんじゃ

どうも村田です

平成の30年を

振り返るのだ

2009年(平成21年)から

2012年(平成24年)の

3年間、

本当に悪夢のような現実、

民主党政権の時代なのだ

安全保障も、経済運用も全く

方向性を見失ったのだ。

さらに悪いことには、

危機管理のできない

菅直人首相の時に

東日本大震災が起き、

福島の原発事故を

引き起こしたのだ。

「泣きっ面に蜂」とは

このことだと思うのだ。

これからは、特に衆議院では、

3~5人の中選挙区制に

戻した方が自民党自身が

活性化するとおもうのだ。

小選挙区制は、強い党の

候補者が勝ちやすく、ほとんど

選挙をやらなくても勝ってしまい、

再選率は高く、9割ぐらい

あると思うのだ。

そうなると、自民党の政治家の

中から我々が個人を選べないと

いうことになるのだ

かつては小選挙区は、

「1つの区で1人しか

立てないから派閥抗争が

なくなっていいのではないか」

と言われたが、党の幹事長とか

執行部が独裁的な力を持って

しまうことにもなるから、

日本の政治文化には

合わないのだ。

日本の政治を活性化するには、

中選挙区制を復活させ、

自民党の中からいろいろな

人が出てきて

切磋琢磨するようにした方が

良いのだ。

小選挙区を導入したが

二大政党制が実現しなかった

ことが、平成の30年間に

われわれが得た教訓の一つなのだ

そして、政治の

エキサイトメントというか、

面白さも失われた30年だった

と思うのだ

平成の30年間は、日本が

政治的にも経済的にも

非常に停滞して、

世界に追い越されてしまった

30年で、世界の経済一流国

だった日本が経済二流国に

落ちてしまった30年だったのだ

平成の振り返りはここ

までにするのだ

今日からは日本の歴史の通史、

縄文時代から始まって現在に

至るまでの通史を鳥瞰図的に

書いていくのだ

日本に知識人は多いのだが、

通史が書ける、語れる先生は

○○先生が第一人者だと

思うのだ

以前、○○先生が『国民の歴史』

という大著を書き、これに

大変感銘を受けたのだ。

その延長線上で、相当な学識と

広い知的好奇心がないと、

通史という通しの歴史は

書けないと思うのだ

時代の専門家はいろいろいる

と思うのけれど、通史ができて

初めて国民の歴史だと思うのだ

今の日本人がどこに立って

いるのか、われわれが今

どういうチャレンジを受け、

何をしなければいけないのか

ということを確かめるために、

日本人の日本人らしさを確かめ

るために、

やはり通史がなければいけない

ということなのだ

それは日本列島の物語で

歴史というのは、昔から

ヒーローが登場する英雄の

歴史というのが多いのだが、

戦後の歴史からは消えて

しまったのだ

歴史というのは大体が

優れた時代、模範となるべき時代、

モデルとすべき仰ぎ見る時代を

うたったり、

参考にしたりと、それが本来の

歴史だったのだが、それがおかしく

なってしまうのは承知の通り

であるのだ。

しかし、必ずその場合には

人間が、あるいは神々の

なにがしかが英雄、

ヒーローの役割を演じるのだが、

日本の歴史でも

日本武尊(やまとたけるのみこと)

だとか、

楠木正成とか、あるいは

徳川家康でとか、いろいろな

ヒーローが描かれているのだ。

西洋の歴史でもそうで、

ブルクハルトという歴史家は

コンスタンティノープルの

コンスタンティヌス大帝に

ついて書いたり、

モデルとなる、あるいは

イデア(idea)となる人物に

焦点を当てて、その歴史を語る

ということをやってきたのだ

しかし、我々が心を込めて

仰ぎ見ているのは日本列島

なのだ。

何だかんだ言っても、この

置かれているポジションと

その長い戦いを、経緯を

我々は知る必要があるのだ

なぜかというと、日本人は

日本の外に概念を持つことが

できないからなのだ

ところがドイツ人、フランス人、

イギリス人は、ヨーロッパ

という概念を持っているのだ

あるいはキリスト教文明圏

という概念を持ってるのだ

しかし、日本人にとっては

そういう外の成す共同体

というのはないのだ

これは日本人に限らないが、

例えば、中国も中華しか

ないのだ

だから中国はやはり中華を

頑張って、日本も

「中華のうちに入れてしまおう」

と乱暴なことを考えている

わけなのだ

そうすると日本という概念は、

我々にとっては神という概念と

近接してくるので、それで

いいのかと、それはおかしい

のではないかと思うわけなのだ

Nationality(ナショナリティ)

は、近代史の中で築かれてきた

概念であり、

地理的、歴史的概念であるから、

それを神様と同じにするのは

おかしいのだ

しかし、日本ということを

日本人が考えるときに、

何となく形而上的概念、

にはなるのだ

なぜなら、それは外にそれ

以外のもので、自分もそれに

属するという大きな概念がなく

結局我々はこの列島、日本地図を

見ると分かるのだ。

これが主人公であり、見慣れ

ている日本地図だと思うが、

赤く描かれている日本列島が

堂々として真ん中に置かれて

いるのは、

これが日本の地図だから

なのだ

ほかの国に行くとこういう

地図ではないわけなのだ

ヨーロッパに行けば日本列島は

端っこの方に、まさに極東

としてあるという感じになるのだ、

マッカーサーの世界地図

というのがあり、

日本列島はどこかへ行って

しまっているのだ

あることにはあるのだが、

オーストラリアを中心に

しているのだ

ソ連と対峙しているアメリカが

いろいろなことを考えるときに、

こういう地図が重要になって

くるのは分かるし、

オーストラリアを中心にして

考えると世界はこういうふうに

見えるわけなのだ

地図を見れば相対的なことが

よく分かるということなのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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