どうも村田です
アメリカの政権は、
大統領ごとに、政権ごとに
権力の分散状況が違うのだ
誰が権力を握るかと言えば、
国務長官が中心で外交を
やるときもあるし、
大統領の安全保障問題担当
補佐官がキッシンジャーの
ように全部仕切ってしまう
という場合もある
国防長官が、力がある場合も
あるし、全然違うのだ
組織図通り全然動いて
いないのだ
副大統領の役割などは、
ブッシュ・ジュニア大統領
のときは、チェイニーと
いうのが、ほとんど大統領
だったと言われているのだ
ところが、レーガンさんの
ときの、ブッシュのお父さん
などは、ほとんど大事なことに
介入させてもらえなくて、
副大統領というのはあちこち、
特に各国のお葬式に、元首
などが死ぬと大統領の代わりに
出るというくらいのことで、
中枢的な決断、
decision making
(ディシジョン・メイキング)
にあまり関与させて
もらえなかったとも言われて
いるから、政権ごとに誰が
権力を握っているとか、
全然違うのだ
ハリー・デクスター・ホワイト、
ナンバー3なのだが、これは
どういう人間だったかだが
proper(プロパー)
なスパイではないのだ
今の若い世代の人はよく
分からないと思うが、全学連が
安保闘争で大暴れした時代、
今も保守系の評論家を
名乗っている人たちも、
かつてはいわゆる左翼思想に
憧れたのだ
彼もそういうタイプの人間
であったのだ
もう1つ大事な要素は、
ユダヤ人であるということ
なのだ
やはりユダヤ人は、アメリカ
でも差別はされていたのだが、
とにかく彼の場合はドイツ憎し
という感情が極めて強い人間
なのだ
モーゲンソーもユダヤ系で、
モーゲンソーもドイツ人は
とにかく憎いという個人的な
感情を持っていたことは
間違いないのだ
それがナンバー2と
ナンバー3だったと、
そういう極めて容共的なというか
反ナチスドイツの状況なのだ
これは、ナチスドイツが、
というよりドイツ人が嫌い
だったというのはあるのだ
それもその当時の雰囲気は、
それこそ国家社会主義という
ものもある程度実績があった
けれど、大恐慌があったのだ
その後、本当は違うけれど、
それ以外の人には、ソ連という
国が輝いて見えていた時代と
いうのがあるわけなのだ
少なくとも、そういう
プロパガンダがうまくいって、
もう資本主義は将来がないのだ
と、資本主義も相当
社会主義的要素を入れなければ
ダメなのだというような中で
育っていった人たちだから、
当然、新共産主義、新ソ連の
sympathy(シンパシー)を
いっぱい持っていたということ
なのだ
それが当時で言えば、
進歩主義で正しい思想なのだと、
正しいというのか、若者に
人気もあった思想なのだ
ということは言えるのだ
ハリー・デクスター・ホワイト、
この人は、ほぼソ連の工作員で
スパイという言葉だとニュアンス
がいろいろとあると思うのだ
彼の場合は中枢に近いから、
そこからソ連が欲しい情報を
流してきたわけなのだ
実は、本当はソビエトの
コントロールの効くスパイに
したかったわけなのだ
だけど、彼はそういう立場には
なりたくない、徹底的な協力は
するということだったのだ
だから、proper(プロパー)
なスパイではないのだ
いわゆるNKVDに育てられた
proper(プロパー)のスパイ
ではないということは頭に
入れておくのだ
ある意味で、自分の信念で
行動してそれがアメリカにも
ソ連にも良いことなのだという
信念の持ち主だったということ
なのだ
それがまさに、日本を
追い込むことが、これもまた
良いことなのだということ
なのだ
究極の目的に使えるものは、
何でも使えばいいわけだから、
日本は非常に彼の犠牲になった
というか、
日本の外交がもう少ししっかり
していれば、防げる可能性は
あったとは思うが、
犠牲になったという言い方は
できないことはないのだ
それで、日本に先に手を出させ、
アメリカが第二次大戦というか
ヨーロッパの戦争にも参戦する
という、そういうシナリオなのだ
ここの所は大事で
ハーバード大学の大学院で
Japanese government
(ジャパニーズ・ガバメント)
という日本の科目があって、
reading assignment
(リーディング・アサインメント)、
読書課題を読んできた人の
ディスカッションクラスをやるのだ
それで、戦争のことに話が及んで
「Hull note(ハル・ノート)
というのが来たんだよ」
と言うと
日本専門の学生ではなく、
いろいろな学部の学生が
いたのだ
それで、
「日本はこういう形で経済
封鎖を受けたのだ」
「鉄も石油も入らなくなったのだ」
「それがやはり大きく、パール
ハーバーに至った理由なのだ」
と言ったら、
「知りませんでした」
と言ったのだ
何人かリベラルな学生なのだが
平和運動などをやっている学生が
言ったのだ
「それでは、日本が開戦したのは
やむを得なかったのですね」
と言ったのだ
これは本当で
アメリカでもそんなものなのだ
ハーバードに来ているくらい
だから、インテリなのだろうけれど、
そんなものなのだ
それから、山本五十六が
ボストンで下宿していた家
というのがあるのだ
今もあるかもしれないけれども、
山本五十六も正直な人で、
2年くらいいたのだろうか、
1年目くらいのときに海軍に
レポートというか手紙を
書いたときに
「レストランに入って、
食いたいものがようやく
頼めるようになった」
と書いているのだ
「私の英語力はその程度だ」と
言っているのだ
これは大変なことで
レストランへ入って好きなもの
がきちんと頼めるというのは、
ある程度英語力がないと
できないのだ
変なものが出てきてしまったり
するから正直な人なのだ
だから、たしかにアメリカの
山本さんの考えの中では、
パールハーバーに行く前に、
日本の宣戦布告が届いている
と思っていたのかもしれない
けれど、少なくとも現場と
外務省との間の齟齬があった
わけなのだ
30分でも遅れて出したら、
アメリカでは、その後何を
言われても仕方がないという
状況になってしまうのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる