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謀略に利用されたんじゃ

どうも村田です

支那事変そのものが

直接の日米戦争の

原因ではなかったのだ

Hull note(ハル・ノート)

の言うように、日本は

軍隊を引き揚げろ

ということだから、

シナ大陸から軍を引き揚げ

たのだ

しかし、

「どういうふうに引き揚げるか、

どういうペースで引き揚げるか、

アメリカと交渉しましょう」

とこれだけでも、時間稼ぎが

できるわけなのだ

アメリカはベトナムから引く

と言って、南ベトナムにある

南ベトナム民族解放戦線と

話し合いをすると言って

これだけで、パリ和平会議

というのは何年も続いた

わけなのだ

和平会議というのは

そういうもので、一方で

現地にいる日本人の権益は

守りながら、いかに

ゆっくり引くのか

ということなのだ

そして、情勢の変化を待つ

ということは考えて

みてもよかったと思うのだ

いざとなれば、

それこそ日清戦争の後の

三国干渉を日本は本当に

耐えたのだ

戦争に勝って、合法的に

獲得した権益で

山東半島を放棄しろと

言われて、

ドイツ、フランス、ロシアが、

三国の陸軍大国が日本に

圧力をかけてきて、日本は

どうしようもなかったのだ

これを認めて、何とか力に

よって正義が押し切られて

しまったと、日本人は思った

のだ

だから、当時の日本人が

言った言葉は臥薪嘗胆

といって古い漢語であるが

臥薪嘗胆で頑張って強く

なろうということを考えたのだ

それからやはりイギリスの

バックアップがないと

こういうときはまずいと、

日英同盟を結ぼうという

ことも考えたのだ

日英同盟も結んで

うまく行ったのだ

三国干渉という、日清戦争の

後の大変な日本にとっては

屈辱的な外交も日本は耐える

ことができたのだ

だとすれば、

ルーズヴェルト政権が

無理難題を言ってきても、

それを一時のものとして、

臥薪嘗胆で頑張ろうと

言ってやっていれば、

全面的な日米戦争を避ける

ことはできて、日本は

極東において権益を保持

しながら、

ドイツとも同盟を結ばずに

いれば、局外中立を保って

国益を確保することが

できたかもしれないのだ

そして、当時の日米貿易

ではアメリカ側が圧倒的に

貿易黒字だったのだ

日本の鉄の材料である

くず鉄も売っているし、

石油も売っていた

石油はオランダの植民地で

あったインドネシアからも

入ってきていたのだ

当時インドネシアという

国はなかったが、蘭領、

オランダ領インドシナと

呼んでいたのだ

そういう段階だから、日本と

貿易しないと困るのは実は

アメリカの方だったのだ

日本も困るけれど、アメリカも

黒字貿易している国だから

お金もうけしたい人たちから

見れば日本と貿易したかったのだ

放っておけば

アメリカの方から

「ぜひまた貿易再開してくれ」

と言われた可能性は十分に

あったと思うのだ

そういうことで、アメリカに

日本のシナにあった権益を

認めさせるということは、

ルーズヴェルト政権になって

非常に難しくなったけれど、

しかも日本がパールハーバー

さえやっていなければ、

そういう余裕はあり得たのだ

だから、そういう意味で

支那事変からの後の日本が

シナ大陸に権益を持っていた

ということ自体をアメリカが

絶対的に許せない

ということはなかったのだ

ルーズヴェルト政権になって

それが戦争の火種にはされたが、

避ける道はいろいろあった

のではないかというふうに

思うわけなのだ

だから、日本がシナに進出

したこと自体でアメリカが

怒って日本を懲罰的に戦争

したのだということは

なかったのだ

石井・ランシング協定に

至る3つの日米協定に

ついても書いたのだ

この所も日米関係という

所では押さえておく必要が

あるのだ

それから、やはり

第二次大戦の真の勝者、

これはアメリカというより

ソ連だったのではないか

ということだ

コミンテルンの謀略が

最終的に勝ち、アメリカ

という国はソ連の共産主義に

うまいこと利用されて、

そして西はベルリンを

分割した東ベルリンから

東は朝鮮半島の半分まで

真っ赤っ赤の共産主義圏

ソ連圏が誕生してしまった

のが第二次大戦の結果だった

のではないかということなのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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