どうも村田です
平成の30年を振り
返るのだ
経済成長を起こせば、
実質経済成長だけでなく、
名目GDP
(インフレ・デフレを考慮
しない国内総生産)が
増えていくのだ
名目で給料が増えなければ
ダメで、デフレ経済だから、
「30万円の給料が29万に
なったけれど、デフレで
物価も安くなったのだから、
実際は生活が楽になってる」
と言われても、生活が楽に
なった実感は得られないのだ
やはり、30万円の給料が32万円、
33万円と増えていくから、
「豊かになった」
と思うのであって、名目賃金、
名目上の経済成長率が上がら
なければダメなのだ
デフレというのはまさにその
逆だから、良くならないのだ。
1997年(平成9年)と
2014年(平成26年)の2回の
増税という財務省の罪は重い
のだ。
財務省は、とにかく税率を
上げてくれる政治家がいい
政治家で、政治家をうまく
取り囲んで、
「税率を上げるように」
仕向けるのだ。
それが財務省のカルチャーであり、
税率を上げた財務省の役人は、
勝ち組なのだ
減税して国民の生活を楽にした
役人、これは財務省の権威主義
からいうと負け組なのだ
国民を苦しめることをやった
人の方が偉いのが財務省で
これが財務省の罪ということ
なのだ
日本銀行、日本の中央銀行が
犯した政策ミスとは何だった
のだろうか。
平成の30年間、景気のいい時代が
ほとんどなかった大きな理由は、
一言で言うと日銀の政策ミス
なのだ
十分なマネーを供給しなかった
こと、これに尽きるのだ
景気が悪いのだから、景気を
良くする手段は、政府には
2つしかないのだ。
一つは財政出動で、政府が
お金を使って景気を良く
すること
もう一つは、中央銀行が
お金を民間に供給して、
金詰まりにならないように
する。
この二つなのだ。
アメリカでは、2008年の
リーマン・ショックの後、
「とにかくお金の供給を
絶やしてしまったら大変な
ことになる」ということで、
財政出動はできなかったけれど、
バーナンキ連邦準備制度理事会
(FRB)議長が勇気をもって
民間に大量のお金を供給した
おかげで、
比較的早く経済が回復し、
大不況に陥らないで済んだのだ
それなりの景気の落ち込みは
あったものの、早くそこから
脱出できたのだ。
日本も1989年(平成元年)に
バブル崩壊があったが、本来、
放っておいても崩壊したのだ
そういう行きすぎたバブルは必ず、
市場原理で崩壊するのだ。
その時に間違った政策を取る
ことによって、それがさらに
悪くなるように引き金を引いて
しまったということが大きな
間違いなのだ
そもそも、バブルの収束のさせ方
が間違っていたのだ。
当時の日銀は三重野総裁で
バブルというのは何のバブル
だろうか。
経済全体がバブルで悪いので
あれば、金利を引き上げて
経済全体を引き締めれば
よいのだ
ところが日本のバブルは株と
不動産だけだから、それを
収める政策を取るだけで十分で、
特に土地、不動産は落ち
かかっていたのだ。
だから、株式の方では営業特金規制
通達を高橋洋一さんが出した
のであり、それだけで十分なのだ。
放っておいても、市場原理で
自動的に調整されるのだ。
ところが、三重野日銀総裁(当時)は、
「全体がバブルでけしからん。
何とかしなければいけない」と
勘違いして金利を急上昇させて
しまったのだ。
三重野さんは1989年(平成元年)に
日銀総裁になり、1989 ~ 1990年に
かけて5回以上は利上げしたと思うのだ
金利は急上昇し6%にもなって
しまったのだ。
体のごく一部におできができて
いるというだけなら、そこだけ
治療すればいいのだ。
それを、日本経済全体を苦しめる
ような政策を取ってしまったため、
体全体が病気になってしまったのだ
お金は経済の血液に例えられるが、
その血液の量が急に少なくなった
ことで、日本経済は血を抜かれた
ような状態になり、
ひどい貧血を引き起こして、
バッタリ倒れてしまった
ということなのだ。
三重野日銀総裁も、何がバブル
だったのか見極めていなかったのだ
三重野日銀総裁は渋い顔をして、
「平成の鬼平」などと呼ばれて
いたけれど、
その平成の鬼平は、誰と戦い、誰を
捕まえようとしていたのだろうか。
幻と戦っているような平成の
鬼平であって、世界の金融政策、
財政政策の標準からいうと、
とんでもない間違いを犯したのだ
ならば当時どうすれば良かった
のかというと、放っておけば
よかったのだ。
放っておけば自然に崩壊し
その兆しがすでに見えていた時、
病人に栄養ある食事を与えない
ようなことをやってしまい、
日本経済はフラフラになって
しまったのだ
2001(平成13年)3月からは
量的緩和が行われたのだ。
これはいいことで、民間にお金を
供給するということなのだ。
時の日銀総裁、速水さんの判断は、
良かったのだが遅すぎたのだ。
1990年(平成2年)ぐらいから
やっておけば良かったのだ。
そして、5年経った
2006年(平成18年)には
量的緩和を解除してしまったのだ
※【量的緩和】
中央銀行が、景気や物価を下支え
するために、市場に大量に資金を
供給する金融緩和政策。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる