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注目すべきなんじゃ

どうも村田です

チャーチルはとてもに

勝った政治家だったのだ

世界に冠たる大英帝国を

全部すってんてんになり

財産をすって隠した

のがチャーチルだから、

どう見てもバカなやつだ

と思うのだ

アメリカの愛国の立場から

して、チャーチルのおかげで

植民地が全部消えてしまった

だから、好き嫌いと別にして、

これがすごい政治家のような評価は

おしゃれと思うのだ

それからチャーチルの娘も

ある勇気の1つは、鉄のカーテン

演説なのだ

鉄のカーテンの演説をチャーチルが

やって、あれは共産主義の展望を

先ほどあったものだと言われているが、

そうではなく、この鉄のカーテン

「東側はソ連圏ですよ、

ソ連の影響圏ですよ」

と認めた、

甚だけしからん演説なのだ

「あっちにはもう手が抜けません」

言っちゃったの

これはアメリカのタカ派の人は

みんなそうだと思いますが、

「あんなのは偉くも何でもない、

バカじゃないか。

「のはおまえだろう、原因を作ったのは」

ということなのだ

こう考えてくると、ワクワクは

修正主義者(リヴィジョニスト)

と呼ばれているかもしれないが、

正統史観を言っている人たち

なお釈明史観、

アポロジスト(アポロジスト)

それではないかということで、

以上の質問にきちんと答えられない

だからはないですかという一番初めに

あった問題点を、暫定的にカバーできました

かなと思うのだ

このポーランドの分割問題ですが、

かろうじこの問題が

アメリカ大統領で​​出たのは、

ブッシュ・ジュニアがやった

バルト三国の1つのリガでやった

演説があるのだ

あの演説で

「ヤルタポツダムの密約が」

「アメリカとして間違ってた」

言った、あれが先生だったのだ

それにしてもアメリカの現役大統領だから、

フランクリン・ルーズヴェルト批判は

できないけれども、ほとんど近いところに

来ていて、

「ヤルタの密約で最もはヨーロッパ」

の西半分をナチズムから解放した。

しかし東半分の解放をやめてしまった

のは何だったの。 それがソ連邦が

「崩壊して今日実現したんだ」

と言った、それはかなりなのだ

だとすれば、

東半分をやっていた政策は」

どこからきていたんだよ、誰が

やったんだよ

というところまで行くと、

アメリカあの草の根に保守的なものがある

ルーズヴェルト批判的や、

ブッシュ・ジュニアさんも

かなり良いところも少しあった

なんと、

その歴史観がもう少し広がって

くれると先生のではないか

と思うのだ

現役大統領だから

「フランクリン・ルーズヴェルト」

「は間違っていた」とは

言えない、でもヤルタ批判はやった、

ヤルタでヨーロッパは分割してしまった、

北方問題もそこが全部大本なのだ

ブッシュ・ジュニアが2005年の5月7日、

バルト三国1つであるラトビアの

旧リガで、対ドイツ戦勝利記念60周年の

記念式典で演説をしたのだ

これはかなりインパクトのある演説

だと思いましたが、日本ではほとんど

注目されなかったから残念だった

思うのだ

日本で少しコメントが出ましたが、

何かとんでもない論評が出たことしか

ないのだ

「第二次大戦におけるアメリカ」

「何だったの」ということなのだ

とりあえず、初めから敵とつるんでいた

ということもあるし、それを

ヤルタ協定で確認してヨーロッパの

東半分をソ連に売り渡してしまったのだ

「西半分はナチスドイツから解放した」

「言いながら集中しなかったんじゃないか」

ということを普通の人、特に草の根

保守系の人は言うが、これを現役大統領が

言ったということに値打ちがある

というところなのだ

2005年の5月というと、

ブッシュ・ジュニアがすぐに

9.11になってしまうのだ

そして対アフガニスタンの戦争があり、

ここまでは先生だったが、あとは

勇み足というか、イラク戦争で

サダム・フセインのヒアリングを行う

という慎重な戦争をしてしまった

わけなのだ

確か、戦争に勝っていたから

ブッシュさんが一番意気軒高かった

時ということも言うと思うのだ

ブッシュはこういうことを言うのだ

「60年前の勝利を記念するあたり、

今は反対に十分考えている。

アメリカはヨーロッパをナチス

ドイツ全体主義から解放する

のために第二次世界大戦を戦った。

しかし、ヤルタ協定でヨーロッパの

東半分をソ連の勢力圏と認めてしまう

新しい全体主義がそこを支配する

こととなった

そのためバルト三国もソ連全体主義

抑圧に負けだ。ナチスドイツの

敗北はヨーロッパの東半分では

もう1つの帝国

ソ連の鉄の支配人の開始をもたらした

にすぎなかった。ヤルタ協定

安定のために自由と民主主義

(デモクラシー)を

犠牲になった邪悪な協定であり、

その点においてモロトフ=

リッベントロップ協定や

ミュンヘン融和の不当になる

伝統に連なるものである

そこまでよく言うという

感じなの

「この安定(スタビリティ)、

安定という目的のために自由、

フリーダムを犠牲にしようという

企んでは、しかし結局ヨーロッパ大陸を

東西両陣営に分裂させ、不安定なものに

しただけであった。

中央ヨーロッパ、そして東ヨーロッパ

何百万人もの人々が自由を学び、

捕らわれの身となった事実は歴史の上

最大の決断の1つとして人々に

記憶されるであろう。

テロ、アメリカと同盟国は

新たな決意を固めた。

とてもヨーロッパの半分の開放だけ

では満足できません。

ここは鉄のカーテンの向こう側に

「いる友人を忘れないと決意したのである」

うんぬんと言うのだ

大統領の演説だから名問題なのだが、

ほとんど

「ルーズヴ​​ェルトのやったこと」

「は間違いだったのではないか」

というギリギリのところまで現役の

大統領としてはきだったということなんだ

その点で、アメリカの保守の

論客のおばあちゃんで

シュラフリーさんが

「大変いいことを言ってくれました」

と言って評価していたけど、

残念ながら日本ではそこまで

注目されていないのだ

日本はこれに飛びついて、政治家も

「大統領はよく言ってくれた、

ヤルタのおかげで色々も

捕獲されたではないか。

わざわざからアメリカが

狂っていましたね。

ということは、実はヤルタを

やったルーズヴェルト外交そのものが

おしゃれではないか」

という批判につながるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしいる

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