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元気だったんじゃ

どうも村田です

平成30年を振り返るのだ

1989年が平成元年であり、

昭和で言うと昭和64年で

昭和天皇陛下がお亡くなりに

なって、平成の御世に変わり、

30年続いたのだ

30年は、ちょうど

ワン・ジェネレーションで

子どもとして生まれた人が

30歳になり、男性で言えば

結婚して子どもをつくる

それが、大体30年ぐらいと

考えられ、そうすると

「平成30年史」は

1世代前の話ということになり、

20歳代の方から言わせれば

「そんな昔の話」ということに

なるかもしれないのだ

しかし、30年さかのぼって

みると、日本の政治経済が

世界の激動の中でどう動いた

のかということが非常によく

分かるのだ

残念なことだが、平成の30年

というのは、はっきり言えば、

「日本経済没落史」だったのだ

昔、日本経済は、世界一

元気のいい、世界一成長速度

の速い、世界一のハイテク国家

だったのだ。

1989年12月末に日経平均株価は

最高値(3万8,915円)を記録し

それから、日本経済が没落を

始めていく、

いわゆるバブル崩壊が始まり

本格的な経済の没落は、1994 ~

1995年頃からなのだ

株価や土地の価格が暴落して、

みんなが過剰な債務を負い、

その債務を返さなければいけない

会社が切り売りをする、

縮小再生産、賃金も引き下げられ、

クビになる人がたくさん出る

どんどん日本経済が悪くなって

いった時代だったのだ

1980年代後半、1985 ~ 1989年

のバブル時代、世界一元気が

いいのは日本経済だったのだ

特に、1985 ~ 1987年は、

日米欧という先進国が揃って

バブル経済で、調子が良く、

1987 ~ 1989年は、日本だけが

バブルでヨーロッパやアメリカは、

過去2年間のバブルの清算を

やっていたのだが、

日本は、2年分余計にバブルを

やってしまっていたのだ

その後片付けが、30年経っても

まだ終わらないというような

状況であり、日本経済にとって

悲惨なことになったのだ

1987年にアメリカで

「Black Monday

(ブラック・マンデー)」

というものがあり

株価が崩壊し、1日でダウ

工業平均が2,500ドルから

2,000ドルにまで下がり、

さらにどんどん下がっていき

これがきっかけとなり、世界的

にもバブル崩壊となったのだが、

この後も日本だけはアクセル

をふかして2年間バブルを

やってしまったのだ

ただ、ダウ平均が1987年に

2,500ドルだった時に、

日経平均は2万5,000円で

今、ダウ工業平均はいくらか? 

3万5,000ドル前後なのだ。

アメリカは2,500ドルだった

ものが3万5,000ドルになって

いるのだ

2,500ドルの10倍、

2万5,000ドルの大台を

超えたのはかなり前、

トランプ政権の時なのだ

日経平均は、2万5, 000円

から少しアップして、今

3万円を少し切っている

ぐらいだから、全然進歩して

いないのだ。

アメリカは桁違いに国が

豊かになっているのだ

考えてみれば、日経平均が

2万8,000円ではなく、28万円

だったら日本はどれだけ豊か

だろうか。

アメリカはそれを実現し、

日本は30年間ずっと低迷して

いたのだ。

その間、世界中の株価はどんどん

上がり、シナなどは貧乏な国から、

世界で2番目のGDPの大きさの

国になってしまったのだ。

まさに日本没落史でその頃の

日本は、第二次世界大戦後でも

一番元気が良かった時代なのだ

それからのバブル経済は、

必ずしもいいことでは

なかったけれど、

元気はあったのだ

その時に浮かれすぎてしまった

から、その後片付けが大変だった

ということなのだ

しかし、1985年、1980年代後半、

日本は世界一のハイテク国家で

あったことは間違いないのだ

世界一の半導体大国で半導体は、

もとはシリコンから作る

シリコンウェハーなのだ

シリコンという世界中どこに

でもあるような安い素材に

最も高い付加価値を付け、

世界の電子産業の最先端に

いたのが日本だったのだ

世界一品質の良い半導体を

世界一大量に作ることができ

ていたのだ

アメリカは悔しくて仕方なく

集積回路、半導体はアメリカ人

が発明したもので、

基礎特許は

テキサス・インスツルメンツ

などがずっと持っていたのだ。

それを日本が買い取って研究し、

小型化、微細化、軽量化して、

世界一の半導体大国になって

しまったのだ。

アメリカの議会で公聴会を

やったのを覚えているのだ

アルバート・ゴアという、

クリントン政権の副大統領で、

後に大統領候補にもなった

ゴアさんが上院議員の時に、

上院で公聴会を開き、

「アメリカはせっかく半導体を

発明したのに、世界一の座を

日本に取られてしまった。

日本はどういうふうに産業

政策をやって、これだけ

付加価値のある産業を

つくりあげたのか」

という分析をして、

「アメリカも頑張らないと

いけない」というような

ことを言っていたのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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