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勉強したことにならんのじゃ

どうも村田です

ヤルタをやった

ルーズヴェルト外交が

スタイリッシュじゃないか

という批判につながるのだ

第二次大戦論ということに

もなるが、歴史の流れを

見ると第一次大戦と

第二次大戦を1つのつながり

把握として必要

とても説明できないだろう

ということなのだ

第一次世界大戦は、昔は

皇太子の頂上

わかってたのですが、今は

次に後継者というらしいですが、

1914年5月にオーストリアの

フェルディナント皇太子が

暗殺されたという事件を

きっかけを作っている

わけではないですが、約1ヶ月

の対話を経て、ある歴史家は

「夢遊病者のようだ」

言ってるのだ

夢遊病者とは関連する

それぞれの国が夢遊病をかけた

かのように外交的な立ち寄り場所を

探索せずに戦争になってしまった

ということなのだ

そう言われていますが、

あの戦争は真剣に、

ニュートラル(ニュートラル)に、

真面目に調べても、誰が

どの国が犯人だったのか、

どの国に責任があるのか

ということは現在でも

わからないのだ

今はない、

ベルサイユ条約ではドイツおよび

その同盟国に全ての責任を

かぶせるということが行われたのだ

サラエヴォでの出来事からその後

オーストリアが宣戦布告して、

オーストリアに対して

ロシアが本気でかけているんだのだ

そしてロシアの対ドイツが

「本気をやめてくれ、

「やめても結構です」と

と言いましたが、

やめなかったのでドイツが

ロシアに対して宣戦布告すると、

今度はフランスがロシアに協力

するのだ

そしていつか

毅然とした立場でいだろう

思われていたイギリスが入ってて

きたのだ

さて、それぞれの国が

夢遊病者参戦してる

まさかという経緯がある

わけなのだ

しかし、戦場で外交的な

決着と言っているのはできたはずなの

それができない形で戦争が

始まってしまったのだ

その後にイギリスが入ってきて、

1917年になると今度はアメリカが

入ってくるという経緯にいくのですが、

この第一次世界大戦というのは、

またこれもチャーチルがついてて

くるのだ

イギリスは当初から

「大丈夫でいく。大陸の戦争」

「入らない」そうですが

大方の見方だったのだ

そして、アスキス政権時代の

閣議というは文章にしっかり

残ってないのだ

前回国王に閣議の経緯を

報告らしいですが、

そのときの議論関係の話

総合すると、

閣内のほとんどは、感想

過半数以上は

「あの戦争にイギリスは

入るものではない」

ということで決まっていたのだ

それをひっくりたのお返し

確か30代の中間だと思いますが、

海軍大臣のチャーチル

だったわけなのだ

そして、チャーチルは

その閣議で決定する前にすでに

の指揮下の飛行船を集中する

ほどの無茶をやっているわけだから

そこ、チャーチルが

好戦的な態度で閣議に臨まなければ、

今回のイギリス参戦は

なはずだったのだが

その結果として、イギリスが

参戦したことによって兵力の

均衡化が中間、

塹壕戦になるという

決定的な総力戦になったわけなのだ

一応意味で、チャーチルは

第一次世界大戦を起こした

張本人であるということが

言うのだ

チャーチルの奥さんは

クレメンタインですが、

チャーチルは二股をかけていた

アスレティックの娘にほぼ結婚を

選ぶというところまで

いっていたのだ

ついでに、クレメンタインに

会ってほれてしまったのだ

そして、クレメンタインの

質問が分からなかったんだ

なかったので、二股を

かけたままで過ごしていた

わけなのだ

1908年の話で

その時にクレメンタインが

オッケーしてしまったのだ

オッケーが出るかどうか

わかりませんでしたので、

スコットランドの東の北海の方

の小さな漁村なのですが、

そこにアスキス一族というか

そこと彼女とその娘さんが

行くということで、8月14日か17日

だと思うが、アスキスの娘が

「その日に来てほしい」

言ったらチャーチルは

「行く」と約束したのだ

それはクレメンタインの答えを

聞いた前の話なのだ

そして、行く前に

クレメンタインがオッケー

してしまって、どうしようかと

心配だけどな

さて、「結婚できない」

と断りに行くのだ

その娘が、まさか自分以外

にこだわっている女がいると

思っていなかったので、

「ほぼほぼのショックを」

受けて、狂言自殺をその後

してしまうのだ

でも、その女性がチャーチルを

恨めなかったんだ

そして、お父さんに

「チャーチルを出世させてくれます」

と言ったわけなのだ

そして彼は順調に出世していて、

1914年後期では海軍大臣

までいっていたのだ

海岸べりに建つ今はもう

朽ち果てた城なのだが、

スレイン城

(スレイン・キャッスル)

といい、

スレインだから本当に倒れて

負けたような名前なのだ

「もしアスキスくらいの娘が

チャーチルを怒らせたら

チャー登場チル世はなかった」

ブキャナン城で

「もしも​​の交渉がうまくいった」

って言っても日米戦争の

残念はなかったかもしれない」

と思うのだ

今回のエピソードは非常に

大事で、言うは、現実は

起きてしまうということは意味があるのです

全部必然的に見えるのだ

とりあえずしてなかったという

そうすれば良い、犯罪

現実には1つの状況の中

シャワーもの可能性があって、

その中の偶然的な要素も

あってたまたま1つの結果が

出て、そこからまたいろいろ

枝分かれしてくるのだ

事実、結果論で

「すべて必然だ」というような

議論をするのは、あらゆる歴史の

勉強をしているようではない

なと思うのだ

その時に、どういうわけか

オプションがあったのだ

ということなのだ

そして、日本からであれば、

もしあればベストのオプションが

取れないかもしれない、

「何で取れなかったんだ、

「何でそこで間違ってたんだ」

ということなのだ

それはあらゆる国がそうだと

思うのだ

当然のことを反省しないと、

歴史を勉強したことにならない

なと思うのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにいる

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