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常に見直すんじゃ

どうも村田です

今日でこの備忘録を書き始め

1年になるのだ

文才も無いから自分の勉強

したことを振り返り忘れたら

自ら読み直すつもりで書いて

いたら1年なのだ

我ながらたいしたもんじゃ

誰もほめてくれんから

自画自賛するのだ

では続きだ

東京裁判史観

そうした歴史観に対し、

鋭い質問を浴びせるのだ

4番目の質問として、

ナチスドイツは繰り返し

休戦を求めるシグナルを

英米両国に送っているのだ

ヨーロッパの戦争は、

1939年の9月1日に

始まったことになって

いるのだ

その後、ナチスドイツは

イギリスとフランスとの

空中戦はあったが、陸上戦を

ずっと控えていたのだ

40年の5月までは陸上戦

というのは、ほとんどないのだ

それを英米の歴史家は

Phoney War(フォウニー・ウォー)、

偽りの戦争の時代と言って

いるが、そのときにナチスドイツは

懸命に休戦を求めるシグナルを

送っているのだ

チャーチルに対しても、

ルーズヴェルトに対しても、

そうしたシグナルを送って

いるのだ

だが、そういったことは

歴史書から一切、抹殺されて

いるのだ

そのことについて、正統派の

歴史家というのは説明する

理由があるのではないかと、

思うのだ

5つ目の質問としては、

連合国の戦争目的とその

結果の齟齬についてなのだ

英国とフランスは

ポーランドの独立を保障して

いたのだ

その結果、その条約に沿って

ポーランドに侵攻したドイツに

宣戦布告したわけなのだ

一方のアメリカは、日本に

対して中国の独立を求めて、

日本が中国から全面撤退する

ように求めていたのだ

それが、日米戦争のきっかけに

なったということだが、戦後

連合国が、その独立を要求して

いたポーランド、そして中国、

どちらも共産化したのだ

そうなると、連合国の

あの戦争の大義、目的

果たせなかったということ

になるのだ

勝者はスターリンだけだった

ということになるのだ

このことを正統派の歴史家の

連中ははどのように解釈する

かと、そういった質問を

ぶつけるのだ

このように正統派の歴史家、

いわゆる釈明史観主義に

基づく歴史家に質問を浴びせる

というか、質問をぶつける

ということは重要な意味を

持ってくるのだ

あの戦争の細部に目をやれば

今挙げた5つの質問のほかにも

たくさんの質問というか、

疑問というのが湧いてくるはず

なのだ

こうした疑問を持つことが、

あの戦争を自らの頭の中で

考える第一歩となると思うのだ

その回答を得る過程で、

必ず東京裁判史観、あるいは

自虐史観から脱却するヒントを

得ることができると思うのだ

また、これも大事なこと

なのだが、私たちは戦前の

日本やドイツが素晴らしい国

であったというような主張を

していないのだ

それを論証しようと、

むきになっているわけでも

ないのだ

ただ単純に

大義のためだったと

仮に、左翼の歴史家の連中が

主張するように、戦前の

日本やドイツが悪い国であった

と仮定したとしても、その

是正にあれほどの悲惨な

世界戦争というものが必要

だったのだろうか

そういったことを真摯に

考えることが、歴史修正主義

なのだというふうに言い換える

こともできると思うのだ

「あの戦争が始まる前に、

落とし所を見つける外交

というのをルーズヴェルトと

チャーチルが展開することが

できなかったのか」、

「そうなっていれば、戦後の

冷戦もなかったのではないか」

と、そのように考えることに

倫理的な善悪というのはないのだ

歴史というのは、当然常に

新しい証拠とともに見直して

いかなければいけないもの

だと思うのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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