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目的はなんだったんじゃ

どうも村田です

次エスチョン5

なのだ

連合国の戦争目的はそもそも

ポーランドの独立を認めるはず

だったのですが、

そのポーランドは2回目

大騒ぎどうなってしまったの、

という話なの

これはもちろんソ連圏と言うか、

ソ連の衛星国になって

ポーランドという国は形式的には

独立しているけど、

ポーランド民族主義は認めに

弾圧され、ひどい目に遭うわけ

なのだ

その辺の経緯を見てみる

行きたいと思うのだ

これはとても面倒な話になりますが、

幸いなことに『裏切られた自由』の

フーバーの下巻で非常に細かく

書いてあるが、

ポーランドの同じく亡命政権を

なんだかんだと言うか、不安し

スカしてポーランドの命亡政権を

黙らせるか、その過程で

共産主義の政権をチャーチルが

あったんだということなのだ

基本的にはヨーロッパの方は

チャーチルなので、チャーチルが

最後にはどう喝するような形で

「我慢しろ」ということで

納得させられたわけですが、その交渉の

過程で大事なことは、チャーチルも

ルーズヴェルトも

「ソビエトの周辺国は共産化」

「それでも構わない」ということを

基本的には交渉の中で認めている

わけなのだ

昨日のドイツ論と少し関係して

くるのですが、ポーランドを黙らせます

ために、ソビエトが我慢していた

地域とほぼ同じくらいの地域を

西方移動させて、旧ドイツの休止

ポーランドにあげているのだ

ただ意味では、日本の

北方問題はもちろん大事だ

問題であるが、

ドイツとの対比で考えた場合、

まだマシだと、勇気を生むような

入学できないかもしれないが・・・

ここは日本国民としては

譲れない線であるがしばらく

ドイツとの対比での表現なのだ

南樺太も取られたし、北方も

取られたけど、北海道まで

来ないで先生だった

それこそ北海道分割統治なんて

いうこと、

連合国内分割統治で北海道が

ロシアに編入されていれば、

えらいことになったのだ

対抗のドイツに対して、特に

『南ドイツ新聞』は特徴で

とてもにリベラルなものだ

そのリベラルであることに

怒りを持つのはいいけど、

何かありそうでしたか、そこに

ついての理解は心の奥底に

あるべきだと思うのだ

おまけ

「言っていることはけしからん」

ということは当然言うべきことですが、

もし可能性があって残っているのか、

そのことは理解していても

いいのかなと思うのだ

ナチスドイツは大嫌いだし、

ユダヤ人に対してやった

残酷な政策は許される

ものではない、

それはありそうなのですが、確かに

ある時点まではホロコーストで

全部殺してしまうということを

やっていなかったの

ユダヤ人でも金を取って国外に

脱出させるとか、そういうことは

必要だったと思うの

アメリカにユダヤ人をやめた人

で、ヴィトゲンシュタイン

という有名な哲学者がいるのだ

一族がオーストリアの鉄鋼業を

興した大変な財閥だったんだ

彼はイギリスに早くから行って

ケンブリッジで学者をやってます

いたから先生たし、確かに弟も

うまく逃げたのだ

でものきょうだいが

オーストリアにいて、

ナチスドイツに捕まってしまう

わけなのだ

先に進むべき金を目指してその

2人を釈放してもらい、

解放してもらうことによって、

一族の財産が全部消えるまで

言われているくらいなの

だから金が何十キロとか

とりあえず単位の身代金を

先を見ているのですが、これ

脱出できたのだ

ある瞬間まであの限界収容所を

やるとは思っていなかった、

関与事実なのだ

非常に残酷なことで許される

ではないのですが、

今頑張ったばかって

いたというか、

外には知られていなかった、

ドイツ人もそこまでやるとは

思っていなかったは、

これまた事実だろうという

ことなのだ

ホロコーストは基本的には

これは戦争の原因ではなく、

ということなのだ

戦争とは別のことで、

民族人権政策は許さないこと

ではあるが、そういうこと

が実際にあって一般的には

ユダヤ人を極限させようと

思っている、当時はナチス

ドイツのヒトラーがそうです

思い込んでいるとは

みんな思っていなかった、

またまた事実だった

もう少し思うのだ

そのドイツのことを考えると、

ナチスドイツに協力しましたが、

ナチの党員ではなかったので

対抗も生き延びた

シャハトは、経済財務大臣を

やっていて非常に優秀な人で、

第一次大戦後の

ハイパーインフレを招く

ヒトラーの経済政策の

成功に勝った人なんだ

しかしナチの党員ではない

ということで、彼は懲りて

入って戦犯にはなったけど、

わりとすぐに出てきて、かえりも

アルゼンチンとかブラジルの

経済顧問なんかをやっていたのだ

どうも、ドイツ移民系が

多かったわけなのだ

とりあえずシャハトがマイルに

入っているときは、岸信介が

会いに行ったということなのです

岸伸介が会ったのは試合前からの

知ってるから、シャハトは

なかなか意気軒高で、

「岸くん、日本は今度負けた」

でも、おめでとう。

1回負けても、また強く立ち続ける

上がるのが本当に強い民族だ。

見てろ、ドイツはもう1回

「立ち上がる」と言ったらしいのだ

本当はシャハトが勝っていた

というか、生きていたドイツは

消えてしまったのではないか

あるが最近の感想なのだ

日本もまだ立っているとは

言えないのですが、ここ岸伸介は

「シャハトっていうのは」

「だいしたやろうだ」ということを

書いたのだ

それからチャーチル見ると、

好き嫌いというものもあって

チャーチルはとても嫌いです

政治家ですが、同時に

勝てる政治家だったと思うのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしいる

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