どうも村田です
個々の国家を超越した
全体主義の世界で急速な
科学技術の発達、
効率性と安定性が追求
される中で、
専制的福祉国家へと
発達するユートピア、
これが一つの生き方
もう一つは、
軍事優先主義的、
全体主義的な国々が
恐ろしい原子爆弾を
自らの基礎に据え、
文明を破壊する世界、
これがAとすると
Bはもう一つは個々の
国家を超越した
全体主義の世界で急速的
な科学の発達、
効率性と安定性が追求
される中での専制的福祉国家、
これがBの未来
さあ、どっちに行くの
でしょうということだが
Aほうのナチス型というか
軍国主義的な未来というのは
実はこれ、こなかったのだ
もう既に1945年にファシズム、
ナチズム滅びてしまったのだ
だから特に先進国では
民主国家ということが、今、
すべての前提だから、
Aの道、右翼的、右派的な
軍事優先的な全体主義国家
というのは、到来の
しようがないわけなのだ
そしてわれわれが今、
向かっているのは、まさに
Bの未来なのだ
専制的な福祉国家
そこには思想的、政治的な
自由も経済的な自由もないが、
安定だけが優先される
そのために技術が使われ、
科学が使われる。効率性と
優先性が使われる。
そしてそこでは恐らく
原子力革命から生じた原発を
コントロールするためにも
全体主義的な中央集権的な
政権がなければいけないのだ
どうもAのほうの
オルダス・ハクスリーが
予測したほうは幸い
こなくて済んでいるが、
今、世界はBのほうにどんどん
すごい勢いで流されてるように
思うのだ
『Brave New World』
全く対照的でいながらこの
すばらしい世界と、
『1984年』の世界、対照的で
いながらともにディストピア
であるという点は変わらない
のだ
われわれがものを考える
うえで非常に参考になる
2冊の本だと思うのだ
オルダス・ハクスリー
という人は
オーウェルよりは前の世代の
方で、1894年に生まれて
いるのだ
大変な名門の生まれなのだが、
おじいさんがダーウィンの
番犬と呼ばれた人で、
生物学者で、ダーウィンの
進化論が出てきたときに、
大変な非難を受けるのだ
特にキリスト教会から
非難を受けるのだ
人間がサルみたいな親戚
みたいなもんから、進化
してきたなんてけしからんと
聖書にそんなことは書いて
ないというようなことを
言われるのだが、
そのときに一生懸命
ダーウィンを擁護した人
だそうであるのだ
この母親のジュリアさん
という人は詩人で批評家の
マシュー・アーノルドの姪
であるというふうに書いて
あるのだ
それから、ラグビー校の
名校長、トマス・アーノルド
という人がいたのだが、
この人のお孫さんが彼の
ハクスリーさんのお母さん
ジュリアさんである
ということなのだ
このトマス・アーノルド
の息子が
マシュー・アーノルドだから、
このお母さんは
マシュー・アーノルドの
ほうの姪ということに
なるのだ
トマス・アーノルドと
いうのはラグビー校を
名門校にした有名な
教育者で
その人の孫がお母さん
だったと、名門なのだ
このオックスフォード大学に
彼はイートン校からはいって
イートンっていう点では
ジョージ・オーウェルと
一緒で
オックスフォードに進むが、
お医者さんになろうと思う
のだが、目が、視力がすごく
弱くなって、一時失明
したと言うのだ
17歳で角膜炎を患い、
1年半失明同然、イートン校
を退学
そのあと目がよくなって、
それからオックスフォード
大学に入ることで、
文学者の道を歩む
ということなのだ
D・H・ローレンスなんかとも
つき合いがあり、1963年に
アメリカに晩年は移住して
ハリウッドの自宅でがんの
ため死去したのだ。
1963年11月22日というと、
ジョン・F・ケネディが暗殺
された日なのだ
この日にお亡くなりになった
のも、何かの因縁だろうか。
ということで、盛んな文筆
活動をされた方であるのだ
そういった点で両方とも、
イギリス人だというのも
面白い事なのだ
イギリスは世界の
帝国主義国家、覇権国家
としては第一次大戦が
落ちぶれて、
第二次大戦もようやく
アメリカの助けがあって
勝ち抜けたということなのだが、
知識人としてはいい人たちが、
第一次大戦後ぐらいから、
バートランド・ラッセルなんかも
最後のイギリスの文明が
編み出したすばらしい思想家
だと思うのだ
そういう知識人というか、
インテレクチュアルな人
たちは、トインビーとか
もそうだが、
なかなかの人物を生み出して
アメリカからは、当時の
アメリカ人はまだ新興国家で、
新たな覇権国家になった
ばかりだから、そういう歴史観
もなかったし
あるいはアメリカ人というのは
大体オプティミズム、楽観主義的
な国民だから
『すばらしい新世界』とか、
あるいは『1984年』みたいな
あまりに暗い未来というものに
目を向けなくなかった
というのは、書きたくなかった
という側面があるのではないか
と思うのだ
落ち目になっていた
イギリス帝国主義の知的な
伝統からは冷静に自分の国の
盛衰というものを度外視し、
これから人類の文明、
どっちの方向に向かっている
のだというとこを見たときに、
非常に冷静で洞察力のある
二つの未来小説、SF仕立てで
この未来小説というものが
生まれてきた、それが最高の
文明批評にもなっている
ということなのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる