どうも村田です
第二次大戦と第一次大戦
第一次大戦が起きてしまって、
挑戦夢遊病者のように、
玉突きみたいにして、
まさかヨーロッパ人は
そんなことになるとは
思ってなかったんだろうが、
知ってたの
あとあと処理が大きく誤りました
ことが、第二次大戦の原因に
つながっているのだ
したがって、1917年の段階で
アメリカが参戦するが、
十四条の条件があるを、
参戦の理由として
出しますが、基本は
ドイツという国が王制である
ということだったのだ
て、
「民主主義国家に変えればいいのだ」
という条件を出すわけがないのだ
それをドイツの
ヴィルヘルム2世周辺の
リーダーは、基本的には
信用するのだ
信用した結果、
ヴィルヘルム2世を退位させる
基本的には民主主義体制という
概形を整えたのだ
とりあえずなおかつ、
ウッドロウ・ウィルソンは
「今度のことがある」
復讐的な条件はつけない」
という約束をしたのだ
その通りにドイツは動いた
のだが
とりあえず、金補償はそれなりに
覚悟ということは覚悟していた
ですが、
ケインズが計算した金額は、
アメリカとして存在しながら
補償金として払える金額、おおよそ
100億ドルと言われたの
とりあえず、ドル目安で、
300億ドルという金額を要求し、
最初から払えないという
状況に優しいのだ
だからドイツは、ドイツ国民も
ドイツの指導者たちも、そこで
思いつきませんでした
それから、ドイツの場合、
すべての戦争責任をかぶったから、
ドイツの植民地をすべて取られたのだ
それに加えて補償で
ドイツは交渉の途中で取り上げた
植民地、アフリカの植民地、
それから赤道全体にあった
ドイツの植民地などもなのだ
日本が赤道北を取って、
南はニュージーランドと
オーストラリアが取った
のだが、その植民地の価値も
補償金に入らなかった
当然、これも朝鮮問題と
勝負でくるのだが、朝鮮に
残っていた資産を入れてください
入れないという問題も
あるが、
当然入れるべきだと思うの
ドイツとしては、
「第一次大戦当時は植民地の
価値があるんだから、
それについては補償金の
中に入れてくれた」
と言ったもの、
拒否されたの
それから、分割後には
第一次世界大戦後の地図に
また入れてもらってますが、
東プロシアとドイツ本土が
分割される形で、ちょうどいい
真ん中にポーランドの
ダンツィヒと、
それとダンツィヒにつながる
ポーランド回廊をポーランドに
渡してしまう
その結果として、かつての
パキスタン東西が
分割したような形となり、
非常に不便を強いられる
ことになったのだ
なおかつ、ダンツィヒは
95%くらいの市民が
ドイツ人だという状況なんだ
今の状況を作ったか
というと、
ウッドロウ・ウィルソンが
ポーランド系の移民の支援を
お会いするために、
「ポーランドに北海への」
アクセスの良い港をあげる」
という約束をしていた
その結果、東プロシアが
ドイツ本土から分離される
という悲劇を負けているのだ
日本では細かいことはほとんど
書いてないのですが、
東プロシアとポーランドの
バラバラ目になっているのは、
確か川だと思うのだ
これはタンシルの本だったと
思うが、その本にしっかり
書いてあったがその川の、
ユーザー河川の運用権は
全部ポーランドなのだ
それからもう1つ大事なことは、
その川に面している
ドイツ側の制限のことなのだ
普通なら、河川を国境とする
、その中央万が一が国境線に
なるのですが、
ドイツはその利用権も、
それからこちら側の安心に
ついても、ものすごい制限を
受けているのだ
それから、チェコにはおよそ
300万と言われるドイツ系が
いたがチェコスロバキアは
非常に過大な問題をご要望をし、
イギリスやフランス、
あるいはアメリカを、
「少数民族を大事にする」
政治をやる。スイスのような
国になるのだ」
と言ったのだ
さて、
「革命が起きた場合、
ドイツとロシアの中
立って安定勢力になるのだ」
というような事前をし、
ドイツ系の民族がたくさん
いるズデーテン地方まで、
仕方がなかったのだ
だから、そういうことも
わかりませんが、その後、
ズデーテン地方の併合の要求を
したヒトラーは、
第一次世界大戦後の処理を
スコーンと外して考えると、
「ヒトラーはひどいやつだな」
ということになるのだ
しかし、第一次世界大戦後の
ヴェルサイユ体制では、
非常にひどいドイツ国民を
悔いても悲しいような
決済(セトルメント)
と言うか、世界、
ヴェルサイユ体制が
できあがっていたんだ
ということは知っておいてください
いろいろ
続きは次回だ
今日はこのくらいにいる