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リップンチェンシンなんじゃ

どうも村田です

連日台湾について書いている

我々は台湾の桃園に蒋介石の

銅像を建立し代々の会長が

その銅像を守っているからだ

これも日本人が残した有形文化財

といえるかどうかは別の話だが・・・

日本が台湾に残した無形文化財

にはどんなものがあるのか

それは教育、医療、そして何よりも、

日本人が持ち込んだ日本精神

と台湾人は言うのだ

日本人は台湾人に清潔の概念、

法を守る精神、時間を守る精神を

教え、台湾の教育にも非常に

力を注いだのだ

それまで、清朝が台湾経営を

ほとんどほったらかしにしていたから

日本が台湾を領有した当時、

当然台湾には教育も普及していなければ

衛生概念もまったくなかったのだ

また、台湾人の激しい抵抗が各地で

繰り広げられ、土匪が跋扈していた

初代台湾総督の樺山資紀(かばやますけのり)

の時、世界に通用する日本の偉大な教育家、

伊澤修二(いさわしゅうじ)が台湾に

派遣されたのだ

伊澤は樺山に「教育こそ最優先すべき」と

具申し、現在の台北市士林に台湾で初めての

小学校となる芝山巌学堂(しざんがんがくどう)

を開き7人の教師とともに近隣に住む

子どもたちに勉強を教えていたのだ

しかし、伊澤と教師1人が日本に

帰国している時に、残りの6人の

教師が土匪に取り囲まれ惨殺されて

しまうのだ

この6人の教師は台湾の教育のために

殉死したということで、学校があった

芝山巌に「六士(氏)先生の墓」

が作られ埋葬された

伊澤の遺骨もこの墓の中で今も

一緒に眠っているのだ

この芝山巌学堂を始まりとして

日本は台湾全土に学校教育を普及

させていき、台湾人の教育水準を

著しく向上させたのだ

欧米の植民地経営が愚民化政策を

取っていたのに対し、日本は

それとは真逆のことをやったのだ

教育、衛生概念のほかに、

一般の日本人が台湾に持ち込んだ

無形文化財が、台湾で「日本精神」

(リップンチェンシン)と

呼ばれるサムライ精神であり

今も台湾に生き続けているものなのだ

「日本精神」4つの性質を言い

規律、清潔、正義感、冒険心

規律は時間を守ること、法を守ること、

礼節を守ること

清潔は外面の美しさだけでなく

内面も美しく穢れのない生き方をすること

正義感と冒険心は、弱きを助け強きを挫く精神

こうした「日本精神」をかつての日本人は

備えていて、それに台湾人は憧れたのだ

自分もそうなりたい

そして日本人に見習って、自分たちも

「日本精神」を身につけていったのだ

しかし、残念ながら、今の日本人は、

規律と清潔の部分はあるが正義感と

冒険心を失ってしまったと思うのだ

また、台湾庶民の生活の中にも日本が

たくさん存在する

台湾に行くと、日本語で書かれた看板を

たくさん目にする

漢字の表記に平仮名や片仮名が混在し

台湾には日本語がそのまま残っていて

台湾の言葉の一部となり今も使われている

日本語の「あっさり」は、台湾人は

促音が苦手なので促音が取れて

「アサリ」になって、日常会話の

中で使われているのだ

「気持ち」を台湾で「キモ」という

「気持ちがいい」は台湾語の

「悪くない」という意味の「ベーバイ」

という語を合わせて、「キモベーバイ」という

「気持ちが悪い」は「キモバイ」だ

そのほかに物の名前もたくさん残っていて

弁当は「ベントン」 、畳は「タタミ」 、

お歳暮は「オーセー」

ただ、台湾で言う「オーセー」は、

清らかな気持ちで贈るお歳暮の本来の

意味合いとは違って、袖の下、賄賂の

意味に変わってしまったが

食べ物もたくさん残った

福神漬けが食卓に上っていたし、

味噌、味噌汁は「ミソ」 「ミソシル」

油揚げは「アーゲ」 、おでんは「オレン」

といって、台湾庶民の食生活の一部なのだ

台湾のお金持ちは、今でも家の中に

一間くらい畳の部屋をしつらえているのだ

このように、台湾には有形、無形の日本が

たくさん存在している

そして、日本が去った後も、破壊したり、

排斥したりせずに、それを大切に保存

しているのは台湾だけなのだ

どこかの恨みの文化の国は次々と

日本から受けた恩恵を破壊し

日本を貶めることに終始している

台湾は恩を恩として受け取り

今もその精神も引き継いでいるのだ

次回は台湾の言葉について書いていく

今日はこのくらいにしといたる

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