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ようやくじゃ

どうも村田です

皇帝制国家では、

絶対権力を持つ皇帝が

打倒されても、別の

者が新たな皇帝の座に

就くだけなのだ

それに対し、封建制の

国の場合、そもそも

君主の力が相対的に

弱いのだ

何しろ、権力が封建諸侯

に分散されてしまっている

からなのだ

西欧も日本も同じだが、

各封土の人民は、実質的

には封建諸侯により支配

されるのだ

封建諸侯は

「自分の土地」を発展

させるために投資を繰り返し、

資本が蓄積されていくのだ

ここで言う「資本」とは

おカネの話ではないのだ

資本とは、現代で言えば道路、

トンネル、橋梁、鉄道網、空港、

港湾、発電所、送電線網、電波塔、

通信ネットワーク、

ガスパイプライン、上下水道網、

建築物、工場、機械・設備、

運搬車両といった

「生産のために必要な資産

(=生産資産)」

を意味しているのだ

近代的な資本主義が勃興する

以前から、資本は存在したのだ

モノやヒトを運ぶためには、

道路が必要になる

別に、アスファルトで舗装

されていなくても、封建諸侯

により整備された道路と

「獣道」では、運送サービスの

生産性は大きく変わるのだ

あるいは、海運ネットワークに

参加したいならば、港湾を

整備しなければならないのだ

自ら海運サービスを展開

したいならば、船舶という

資本も必要になるのだ

封建諸侯が自領に投資し、

資本が蓄積され、経済が

発展していくと、次第に

「発言力」を求めるように

なるのだ

しかも、国王にせよ将軍にせよ、

君主は一人だが、封建諸侯は

「大勢」存在しているのだ

封建諸侯の権力の合算が、

君主の権力に拮抗する

ようになり、やがて西欧で

誕生したのが国王と諸侯が

話し合う場、つまりは議会なのだ

欧州の身分制議会が始まった

のはイベリア半島だが、

本格的な議会制民主主義は

イギリスで発展を遂げたのだ

ちなみに、古代ギリシャの

政治形態は直接民主主義であり、

封建制を経た議会制とは

まるで違うのだ

議会制民主主義の始まり、

イギリス大憲章(マグナカルタ)

が国王に突き付けられたのが

1215年なのだ

マグナカルタでは、25人の

貴族の代表たちが、自らの

所領について事実上の自治を

獲得したのだ

また、国王の決定のみでは、

戦費として税金を徴収できない

ことも定められたのだ

やがて、議会の議員の幅が

広がっていき、最終的には

議会制民主主義になったのだ

権力の分散の封建制に対し、

皇帝制の場合は権力集中が

原則なのだ

というよりも、他民族、多言語、

多宗教の広大な領域国家において、

権力の分散などと言い出した

日には、各地で独立戦争が

始まるのは確実なのだ

封建制度の国は、権力が分散し、

次第に封建諸侯、

ブルジョアジー(資本家)、

さらには一般民衆が「主権」を

持つようになっていくのだ

特に、中世欧州において、各種

の兵器(鉄製クロスボウ、

マスケット銃、大砲など)

が開発され、軍隊の主力が

「騎士」から「歩兵」へ

と移ったのだ

「軍事革命」以降、戦争は

国民の協力なしでは遂行

できなくなったのだ

となれば、戦争に協力する

国民から「自分たちにも主権を」

という声が上がって当然なのだ

封建制度の国において、

権力の分散化が進み、

最終的に国民主権が

成立するに至り

ようやく「国民国家」が

誕生したわけなのだ

国民国家の場合、行政を

コントロールする議会(立法)、

そして司法、

行政、立法、司法の三権に

国民が関われるのだ

あるいは主権の行使が

可能となったのだ

国民国家は、君主制から

封建制、身分議会制、そして

議会制民主主義と、段階を

踏んで政治制度が進化し、

実現したものであるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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