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双肩にかかってるんじゃ

どうも村田です

歴史に学ぶならば、

外交や防衛、そして

今で言えば移民政策

これは、昔はなかった話

なのだ

移民政策は鉄砲の弾ではなく

人の出し入れを外交、政治の

ツールとするのだ

移民政策のかじ取りは、

ひとたび間違えると取り返しが

つかない悲劇が祖国を襲う

いうことなのだ

これを共通認識として

欲しいのだ

物事をどんどん改善していく

ためには、やはり問題意識を

持たなければならない

この問題意識を持つにはそれに

先立つ事実、現状を知らなければ

ならない

事実を知って、おかしいと思えば、

SNSなどでどんどん発信していく

これが重要なのだ

これはメディアの責任でもあるが、

政府や国会議員はそういった世論、

国民の声を真摯に受け止めて、

直すべきは直す、改正すべき法律が

あるならば改正させなければならない

そこを地道にやっていくことで、

国民の集合意識、世論の醸成を高める、

広めていくということが必要なのだ

宮崎県の九州国際高校の話を書いた

ついでではないが、宮崎話で

「幸いの島」と書く、

幸島(こうじま)という場所が

ある

ここはサルの生息地で

サルの生息地で1 匹の子ザルが

芋を水で洗ったことから、

それをまねたサルが一斉に芋を

洗い出して、それが世代を超えて

伝えられるようになった

今はサルはみんな海水で洗ったり

して芋を食べているらしいのだ

塩気があってうまいのかどうか

分からないが、結構九州では

有名な話なのだ

不思議なのは、時を同じくし、

何キロも離れた大分県の高崎山

で、サル山があるのだが、

そこのサルも芋を水で洗い始める

という事を始めたという話があるのだ

これは「100 匹目のサル理論」

というもので

この100 匹目のサル理論という話は、

ある集団において、行動や考え

などをする個体がある一定数超えると、

接触のない同類の仲間にも伝播する

という現象を物語っているのだ

この現象は一見説明がつかない

不可解な、超常現象みたいに

捉えられがちなのだが

そうではないのだ

幸島のサルと同じような発想を

持ったサルが高崎山にもいて、

これが偶然同じ行動をとったと

考えられるのだ

何が言いたいかと言えば

これは人間の世界でも

当てはまるということだ

誰かがここで声を上げるとき、

ほかの土地でも同じような

問題意識を持った人が声を上げる

ことがあり得るのだ

気付けばそれが大きな世論の

うねりとなって、社会の

ありようを変えていくことに

つなげていくことがあり得る

そうしていく必要があるのでは

ないかと思っているのだ

これは時間がかかっても、

1人の行動が社会を変え得る

ということを、100匹のサルの

理論というのは物語っているのだ

論語にいわく、

「鳥の将(まさ)に死なんと

するとき、其(そ)の鳴くや

哀(かな)し。人の将(まさ)に

死なんとするとき、其(そ)の

言うや善(よ)し。」

「鳥が死ぬときの鳴き声は、

『キョエー』とすごい悲しみの

声を上げる。どんな人であっても、

この世に別れを告げるときは

少しはいいことを言うものだ」

という解釈ができるのだ

別に俺が死ぬわけではない

覚悟の話だ

日本の将来は我々日本人の

双肩にかかっているのだ

今日はこのくらいにしといたる

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