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奴隷にしようとしたんじゃ

どうも村田です

戦後の台湾の歴史だが、日本が

戦争に負けて引き揚げた後、蒋介石介

が毛沢東の共産党軍との内戦に負けて

台湾を征服した

その後、38年間という世界最長の戒厳令

が敷かれた

白色テロとも言われたが、この台湾の

ダークサイドの歴史について書いていく

1949年から1987年7月15日まで、

38年にわたる戒厳令が敷かれた

戒厳令は英語でMartial Law と言い、

軍事的法律という意味

ふつうであれば、この戒厳令というのは

空気のような存在で、あまり感じない

のではないかと思うが、実際にはどう

だったのだろうか

戒厳令とはつまり、一般の国民を

「軍事的に管理する」ということ

たとえば、高校や大学に軍人を常駐させ、

思想を検閲し管理する

さらに、政府か民間かを問わず、大きな

組織や会社には必ず「人事第二部」という

部署が設置され、職員の思想を管理するのだ

台湾人のすべての組織に、必ず政府の

監視係が配置されているのだ

ちょうど今の中華人民共和国の組織に

共産党の監視部署が設置されている

のと同じようにだ

戒厳令下では、政府にとって気にくわない

ことがあれば、手続きを一切経ずして、

いきなり国民を逮捕し、いきなり拘留し、

いきなり死刑にすることができる

それほど大きな権限を持っているのだ

台湾では国民党政府が行った思想検閲を

「白色テロ」と呼ぶのだ

これは台湾人が大虐殺された2.28事件

の後に生まれた言葉で、この白色とは

憲兵が被っているヘルメットの色のこと

白いヘルメットを被った憲兵が、ある日

何の理由もなく急にやってきて逮捕する

捕まったら行方不明になり、

二度と戻ってこない

李登輝さんも実際に経験したことがあるのだ

真夜中に軍用ジープがやってきて、聞いても

理由を一切明かさずに逮捕する

そして警備総部に連れて行かれて

尋問を受ける

尋問というのは拷問で警備総部というのは

軍の一部であるが、軍よりも大きな権限を

持っていて、何でも一存でできるのだ

法は関係ないのだ

台湾は言論の自由もなく、人権もないに

等しくこれが38年間続いてきたのだ

その間、たとえば1970年代の美麗島

事件など、台湾では抵抗運動があった

戒厳令下でデモや抗議活動をすることは

並大抵のことではない

それなのになぜ台湾人は敢えて反抗

したのか

それは、国民党が台湾の民族の灯火を

消そうとしたからなのだ

3万人の、ほぼすべてのエリートを殺した

だけではなく、台湾人の生命力、精神力を

根こそぎ奪い取ってやろうということで、

ずっと抑えつけてきたのだ

台湾人に38年間の思想統制を強いて、

何も考えられず、何も書けず、自分の歴史や

言葉を研究できないようにして、完全な

奴隷にしようとしたのだ

そうでなければ38年間もの戒厳令が

敷かれるはずはないのだ

しかし結局、台湾人の民族の灯火が

抹消されることはなかったのだ

当時、陳文成(ちんぶんせい)

というアメリカに留学していた30代の

数学者が台湾に帰省した時、殺された

彼はアメリカで

「台湾は民主化しなければならない」

と言ったのだ

こんなのはいくらでも例があるのだ

当時の台湾人が言論の自由や人権に

ついて考えたりすれば行く場所は

2カ所しかなかったのだ

1つは海外に出ること

もう1つは緑の島と呼ばれた緑島

緑島とは東台湾にある離島で、もとは

火焼島といい政治犯を収容する監獄以外

何もない、灼熱の島

だから、台湾の知識人は海外に留学し

外国を拠点として国民党独裁政権を批判した

海外でも国民党のスパイ学生が監視

しているから、政権批判をした者は

密告されてブラックリストに載せられ

台湾に帰ることができなかったのだ

戒厳令が終結する1987年まで

親の死に目にも会えずに異郷の地に

いるしかなかったのだ

日本でも明治大学教授の王育徳

(おういくとく)博士が「台湾青年社」

を結成し、「台湾青年」という機関誌を

発行して、台湾の現状を日本の各界に訴えた

しかし当時、日本の自民党政権は、蒋介石の

「遺徳報怨」

(徳を以って怨に報いる。日本の中国侵略

行為を許し徳でこたえるということ)

の言葉に騙され、 反共の国民党政権を

支持していたし、 戒厳令下の台湾の実情は

海外には伝わってこなかったので、王博士ら

の活動は無視されたのだ

ここに加わったのが、昭和大学名誉教授の

故黄昭堂(こうしょうどう)氏、

コメンテーターとしても活躍する金美齢

(きんびれい)氏、

膨大な数の著作を発表する作家の

黄文雄(こうぶんゆう)氏などだ

「台湾青年社」は後に、欧米で発足した

台湾人組織と統合し、「台湾独立建国連盟」

になったのだ

台湾人は台湾の将来、 あるいは過去について、

考えてはいけなかった

まして研究するなどもってのほかであり

自分のことを考えることは罪だったのだ

だから38年間の戒厳令というのは、

台湾人を愚か者にしようと、台湾人の

精神を根っこから破壊しようとした

ものだったのだ

当時彼らがよく言ったのは、

「日本人による奴隷化教育をきれいに洗い流そう」

ということだった

しかし、人間には共通して、自由と

民主を追求する性質がある

38年間という世界最長の戒厳令によっても、

その芽を摘み取ることはできなかったのだ

今日はこのくらいにしといたる

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