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絆じゃ

どうも村田です

残暑厳しい日が続いている

地球は温暖化してないが

暑いものは暑い

今日も熱く台湾を語るのだ

台湾と日本との絆を考えると

不幸な事件ではあるが1999年

9月21日に起きた台湾中部大地震、

そして2011年3月11日の

東日本大震災というのがある

この2つの天災が起きた時

日本人と台湾人がお互いに助け合った

という事実があるのだ

1999年9月21日未明、台湾中部に

マグニチュード7.6の大地震が起こり

2400人を超える犠牲者を出す

かつて台湾が経験したことのない

大災害となった

この時に、台湾に真っ先に駆けつけた

のが日本の救援隊でこれだけでも

台湾人に大きな勇気を与えたのだ

そして日本人は義援金を募ってかなりの

額の義援金を台湾に送った

それ以上に、3000人以上の日本の

若者たちがボランティアとして台湾に

駆けつけたのだ

この若者ボランティアの中には、台湾を

初めて訪れたという人もいただろう

9月の台湾というのはまだとても暑く

被災地では電気も止まっていて道路も

寸断されていたのだ

そのような状況下で、 彼らが何を

やったかというと、 遺体の運搬を

したのだ

腐りかけた遺体の運搬を、台湾人と

一緒にやったのだ

台湾人のやることすべてを一緒にやり

おそらく彼らはこれまで死体を

見たことすらないのだ

それをこうして、ボランティアを

してくれたことに対して、台湾人は

非常に感謝し、また同時に、やはり

日本人はまだ台湾に対する情を持っている

そう思ったのだろう

それから12年後の2011年3月

11日、今度は日本の東北地方で

マグニチュード9.0の東日本大震災

が起きた

巨大な津波が発生1万5000人以上

が犠牲になった

地震発生直後、まっ先に日本への

救援隊を組織して派遣を申し入れた

のは台湾だったのだ

ところが、当時の菅直人民主党政権は、

台湾の救援隊の入国を許さなかった

一番乗りになってはいけない、

シナの救援隊が入ってからでないと

台湾の救援隊は入ってはいけないと

台湾の救援隊は台湾の空港で足止め

されたのだ

台湾の救援隊が日本に降り立つのを

許されたのは、シナの救援隊が日本入り

した13日の翌14日だった

台湾側が派遣を表明してから2日間も

経っていたのだ

こういう台湾への冷遇はあったにも

関わらず台湾ではすぐさま義援金の

募金活動があちこちで展開され、

集まった民間の義援金は200億円を超え

世界最多の金額に上ったのだ

この時より台湾の街のあちこちに

「日本のために祈ります」という

日本語で書かれた張り紙がしてあり

日本人を励まそうと、日本語で書いた

のだろう

小中学校でも生徒たちがメッセージ

を書いて日本に送られたのだ

台湾を代表するPCメーカー

ASUS(エイスース)という会社が

あるが、同社のパソコンに内蔵された

マザーボードにΓGOD BLESS JAPAN」

(日本に神のご加護を)という文字が

刻まれていたというエピソードもある

同社の技術者が独断で刻んだらしいのだが、

同社がとくに社員を特定して責任を追及

することもなかったのだ

台湾人の日本への思いやりがとても

よくわかるエピソードは沢山ある

次回はまた続きを書いていく

しかし、民主党政権時代に

中共に忖度し媚びる政治を

していたことを日本人として

恥ずかしく思うのだ

今の自民党にも媚中政治家が

いることもそうだが・・・

今日はこのくらいにしといたる

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