どうも村田です
平成の30年を振り返り
しているのだがここで
二つのことは別の事
と考えるべきなのだ
一つは、愛国心を持って
日本を良くしようという
気持ちなのだ。
炎のような情熱を持って、
日本のために尽くすことは
大事なことで俺もそうしている
つもりなのだ
もう一つは、現実を冷静に
見るということなのだ
どんなに日本にとって嫌な
ことでも、現実は現実なのだ
日本の半導体産業は、30年で
完全に衰退したのだ。
バカな経営者がクビを切って、
優れた技術者は外国のメーカー、
アメリカの会社、台湾の会社、
韓国の会社に就職していったのだ
シナに行ってしまった人もいて
これは、悲しい事だが事実なのだ
日本人が犯した過ちで、それを
冷静に現実として認識する能力
がないと、ここから立ち上がる
ことができないのだ
この『平成30年の振り返り』、
で、どんな間違った政策が、
日本を経済二流国にしてしまった
のかが分かるのだ。
過去30年の過ちを見ることにより、
今われわれは何をしなければ
いけないのか、
将来に向けて、未来に向けて
何をしなければいけないか
ということがよく分かって
くるはずなのだ
日本が大事だと思っている、
日本のことが心配で仕方がない
と思っているあなたにこそ、
冷静に現実を見極めてもらいたい
と思うのだ。
自分の立ち位置が分かり、個人、
企業、日本全体、それぞれの
立場で今何をしなければならない
かという答えがおのずと明らかに
なってくると思うのだ
政治的、経済的、あるいは
国際政治、国際経済も含めて、
平成の30年間に一体何が起きた
のかということをざっと
振り返ってみようと思うのだ
これを振り返っておくと、
これから日本人が犯しては
ならないミステイクが
見えてくるとともに、
未来の選択肢もより明確に
なるのではないかと考え
るのだ
経済から平成を振り返ると、
日本経済は低迷し続けた
30年だったと言って間違い
ないだろう。
ところが、アメリカ経済は伸び、
シナの経済などは急成長しており、
経済的に世界の一流国だった
日本が二流国に転落した、
誠に残念な30年で、経済の
景気が良いという実感は、
ここ30年間なかったの
ではないかと思うのだ。
平成は、バブル崩壊とともに
始まり、バブル崩壊の結末で
あるデフレ不況から抜け出せ
なかったのだ。
しかし、よく精査してみると、
それは財務省(当時は大蔵省)
と日銀の政策ミスによる
政策不況の30年だったという
事実が見えてくるのだ。
まずは、主に消費増税による
財務省の罪があり、日銀は十分
なお金を供給して景気の
下支えをしなかったという
ミスをおかしているのだ。
それが具体的にどういうもの
であったのかを見直して
みたいのだが、
その前に、平成元年、西暦
でいうと1989年の意味という
ことを考えてみたいと思うのだ
それが分かると、大きな
マクロ的な鳥瞰図が比較的
よく分かるのではないかと
思うのだ
1989年は昭和64年として
スタートし、天皇陛下が
崩御されて、平成と名前が
変わるのだ。
米ソ冷戦の終結と重なっていて
ソ連邦が本当に崩壊するのは
1991年の12月だが、
米ソ冷戦はこの年に終了し、
ソ連が負けてアメリカが
勝ったのだ。
冷戦という戦争においては
日本も戦勝国側なのだ
1989年(平成元年)1月に
昭和陛下が崩御され、11月に
ベルリンの壁が崩壊したのだ
社会主義圏の東ドイツが滅び、
ソ連型社会主義はダメだという
ことがはっきりしたわけなのだ
そして、その翌月、12月には
マルタ会談が開かれ、地中海の
マルタ島に停泊している船の中で、
ソ連の書記長、トップであった
ゴルバチョフと、
ブッシュ・シニア、
ブッシュのお父さんの方で、
第41代アメリカ大統領が会って、
冷戦の終結を宣言したのだ
1989年(平成元年)6月には
シナで天安門事件が起こり
ソ連型社会主義が滅びた年に、
中国共産党の社会主義も
一つの壁にぶち当たって
民主化運動が起き、6月の
天安門事件に繋がったのだ
しかし、ソ連の方は滅びて
くれたものの、中華人民共和国
の方は、期待に反して、
天安門事件を乗り越えて
しまったのだ
その後、共産党一党独裁は
揺るぎないものとしつつ、
疑似資本主義的な体制を導入し、
外国の資本や技術を取り入れ
て発展したのだ
急成長が始まるのは1990年代に
入ってからだが、日本の
平成30年間に、中国共産党は
天安門事件を乗り越えて
アメリカの覇権にチャレンジ
する程に経済発展を続けたのだ。
30年間シナが経済急成長
している時、日本はずっと
低迷していたため、たちまち
経済規模も追い抜かれて
しまったのだ
中華人民共和国が発表する
経済統計は非常にインチキが
多いから、そのまま信じる
ことはできないが
ソ連邦が崩壊した時に、正確に
計算してみると、発表されて
いたソ連邦の経済規模の半分
しかなかったのだ。
現在のシナもそのようなもの
ではないかと思うが、それでも
日本経済よりは規模が大きく
なってしまったのだ
もっとも、人口が日本の10倍
以上だから、全体としては
貧しい国だが、
国家の経済規模としては
逆転して、シナの帝国主義的、
軍国主義的な発展が起きて
しまったのだ。
われわれはそれに圧迫されて
しまったということなのだ
1989年までの昭和の時代、
昭和20年(1945年)から
昭和63年(1989年)までは
どういう時代だったのか?
1945年、日本は大東亜戦争、
第二次世界大戦の敗戦国と
なって、ボロボロだったのだ
しかし、この1989年までの
時代は、日本にとっては
大変な黄金期であった、
ゴールデンエイジであった
と言っても差し支えないと
思うのだ。
少なくとも、経済的には
そう言えるのではないか
と思うのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる