Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

腐敗しとんじゃ

どうも村田です

経済学における主流派に

成り果たせた「新古典派」の

人たちの主張は、財務省に

とっても非常に都合のいいもの

だったのだ

何と言っても彼らの理論は、

経済成長のためには

政府支出拡大が必要だとは

いっさい語らず、経済成長の

ためにはただただ「自由化シロ」

「民営化シロ」とだけ

言い続ける代物だったからだ

それゆえ、先ほどの「真面目な」

(新古典派)経済学者たちは

財務省に気に入られたのだ

そして、財務省から

「どこそこの審議会の会長に

なってください」という話が

くるのだ

彼らが会長になれば、本当の

経済の動きを把握しながら、

本当に国民経済のために必要な

対策を考え、ケインズ経済学を

踏まえながら積極財政を唱える

学者は徹底的に排除される

ことになるのだ

つまり、財務省にしてみれば、

そうした「教科書」に対して

忠実な「真面目」な新古典派の

経済学者たちに審議会の会長に

なってもらうことを通して

ケインズ経済学を持ち出す連中の

いう積極財政派を寄せ付けない

ようにするための〝魔除けの御札〟

になってもらおうというわけだ

政治家は政治家で、例えば

地元の道路1つ造るのにも、

農政の予算を少し増やすのにも、

財務省の許可がいるような

状況になってしまっているから、

財務官僚の靴を舐めてでも

予算をもらいたいと思っている

人たちが大勢いるのだ

当然、財務省お気に入りの

学者たちにも、媚びへつらう

ようになるのだ

政治家とはそもそも、

国民のための〝公僕〟だ

にもかかわらず、国民を忘れ、

財務省に媚びへつらい、その

帰結として国民経済を地獄に

落とし続けている政治家など、

腐敗の極致といってよいのだ

そうやって国民の暮らしや

幸福など度外視して、

財務省にいいように操られている、

政治家がたくさんいるのだ

新自由主義者、

新古典派経済学者たちは

とにかく議論をしない

自分たちが思い込んでいる

イデオロギー、新自由主義、

グローバリズム、緊縮財政

などについて、

「何があっても善である」

と思い込んでいて、

はなから論戦をしないのだ

神様の存在について宗教家たちが

議論しないのと同じ構図だ

彼らは誰が何を言おうとも、

「そうはいっても、ダメですよ、

ダメなものはダメなんだから」

などとまったく意味の通じない

わけのわからないことしか

言わないのだ

テレビや大新聞といった

大手マスコミも、

なぜか緊縮派だ

「政府が通貨発行権を駆使して

財政出動するなんて、そんな

バカな話はない」などと言う

始末なのだ

どこがどう「バカな話」なのか

は決して口にはしないのだ

それもそのはずで、彼らには

そう言ってのける合理的、

理性的な根拠などあるはずも

ないのだ

彼らはただただ何も考えずに

「そんなことはあるわけない」

と思考停止し、そのまま

ニュースやコラムとして

流し続けているだけなのだ

多くの国民は、これまた

「非常に真面目」なので、

大手マスコミの言うことを

信じてしまう

そうして

「政府が財政出動なんて

したら大変だ」という

世論が形成されたのだ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me