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質問するんじゃ

どうも村田です

釈明史観主義者について、

書いておいた方がいいかと

思うのだ

日本人を自虐史観に

追い込む仕掛け

いくつかについて書いたが

こういう仕掛けの存在に

気が付つくとと、数多くの

疑問が湧いてくるのだ

一般の方々は、もちろん

そういう疑問に自身で答えを

出すためにできるだけ多くの

文献に当たって視野を

広げてもらいたいと思うのだ

そして、自らの頭の中で

史実に基づいた合理的な

歴史解釈、歴史観を形成

して貰いたいのだ

自虐史観から脱却する

1つの方法というのが、

現在主流になっている歴史観、

つまり、東京裁判史観なのだ

そうした歴史観に対して、

鋭い質問を浴びせるのだ

そうした質問を浴びせて、

彼らの解釈というのを

じっくり聞けばいいのだ

鋭い質問には正統派の

歴史家と言われる人々は

たじろぐはずなのだ

そして、非合理的な解釈、

釈明というのを開陳する

のだ

ハーバート・フーヴァー

大統領がそうした歴史家を

apologist(アポロジスト)

と呼んだのだ

Apologist(アポロジスト)

というのは、

apology(アポロジー)と

いう動詞、釈明するという

動詞の名詞形なのだ

彼は、釈明ばかりする

歴史家を釈明史観主義者

と呼んでいたのだ

もし、あなたが左翼方面から

「歴史修正主義者だ」

罵られるようなことがあれば、

「それでは、あなたは

釈明史観主義者ですね」

と穏やかに言い返しせば

良いのだ

釈明史観主義者への質問だが、

どのような質問をするのが

いいか・・・

まず一番大事な質問は、

第二次世界大戦の始まりは、

ドイツのポーランド侵攻で

あったのだ

ドイツがポーランドに侵攻

したことで、ポーランドの

独立を保障したイギリスと

フランスが、ドイツに

宣戦布告したわけなのだ

ドイツがイギリスとフランス

に宣戦布告したのではないのだ

ではなぜ、2週間強だが、

ポーランドに少し遅れて

侵攻したソビエトに対して、

イギリスとフランスは

宣戦布告しなかったのか

そういう質問を返すのだ

この答えを出せるいわゆる

正統派の歴史家というのは、

今のところ見当たらないのだ

2番目の鋭い質問は、

Hull note(ハル・ノート)

というのは、日米交渉上、

極めて重要な文書で

最後通牒的な性格、形式論

については、いろいろ

議論があるが、最後通牒的な

性格を持っていることは

間違いないのだ

FDR 政権、

フランクリン・ルーズヴェルト

政権は、その文書を

ワシントン議会にも国民にも

隠していたのだ

「そのような外交は今後

とも許されるのでしょうか」

そういう質問を浴びせる

というか正統派の歴史家に

聞いてみることが、重要に

なってくるのだ

それから、3番目の例として、

どういう質問がいいかと言えば、

近衛文麿首相は何度も

日米交渉の時代、

1941年の春から夏にかけて、

ルーズヴェルト大統領に

「直接交渉をしたい」と、

いわゆる「頂上会談をしたい」

という要請をしていたのだ

それに対し、

ルーズヴェルト大統領は

応えようとしないのだ

応える素振りを見せたが、

結局、近衛文麿首相との

会談は実現しなかったのだ

戦前の日本よりも明らかに

全体主義の北朝鮮と現在の

トランプ大統領は直接会談

をして、その結果、

北朝鮮のミサイル発射は

止まっているという現実が

あるのだ

そのことを考えれば、

1941年に日米首脳会談が

実現していれば、何らかの

日米の妥協は可能だった

推論することができるのだ

もし、ルーズヴェルト外交を

是とする立場を取るのであれば、

いわゆる釈明史観主義に立つ

のであれば、そういう歴史家は

「近衛首相の会談要請を

なぜルーズヴェルトは

断り続けたのだ」

ということを合理的に説明する

義務があるのではなかろうかと

思うのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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