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属国にするんじゃ

どうも村田です

封建制を採用していた

国々(西欧及び日本)は、

基本的には民族が単一に

近いのだ

領土も、それほど広くは

ないのだ

それに対し、皇帝制の国

においては、支配下にある

土地は広大で、人民の数も

膨大なのだ

結果的に、必ず

「多民族国家」となるのだ

異なる民族の国々を軍事力

により征服し、自国の領土に

組み込んでいく

人民も土地も

「皇帝の所有物」として

国家を拡大していくのだ

封建制と皇帝制では、言語

についても差異が生じるのだ

封建制の国においては、言語

は統一されていて日本の場合、

確かに各地方に方言はある

ものの、意思疎通が不可能な

ほどに異なっているわけ

ではないのだ

ちなみに、1868年

(慶応4年/明治元年)に

「江戸無血開城」について

交渉した勝海舟と西郷隆盛は、

通訳を使っていないのだ

勝海舟は江戸っ子で、

西郷隆盛は方言がかなり強い

薩摩っ子であったのだ

それでも、同じ言語で会話が

成り立ったのだ

一国一言語である封建制の

国々に対し、皇帝制の国は

100%の確率で多言語なのだ

多民族国家である以上、

当たり前なのだ

さらに、宗教はどうか

封建制の国々では、ほぼ

単一宗教なのだ

イギリスは英国国教会、

フランスはカトリックと

プロテスタント、

ドイツもカトリックと

プロテスタント

カトリックにせよ、

プロテスタントにせよ、

同じ「キリスト教」である

ことに変わりはないのだ

対する皇帝制の国では、

様々な宗教が入り乱れる

ことになるのだ

例えば、代表的な皇帝制国家

の一つであるオスマン帝国の

場合、中心となる宗教は、

当たり前だがイスラム教徒

とはいえ、オスマン帝国は

バルカン半島やハンガリー

までをも支配下に置いたのだ

バルカンの人々は、

ギリシャ正教(オーソドックス)

ハンガリーはカトリック

オスマン帝国に支配された

ギリシャ人やハンガリー人は、

イスラム教への改宗は強要

されなかったのだ

イスラム教とキリスト教は、

これは(起源はともかく)

全く異なる宗教であるのだ

また、封建制の国と

皇帝制の国とでは、「領土」に

対する意識がまるで違ったのだ

封建制の国々は、領土あるいは

「土地」について、それほど

拡張欲求があるわけではない

とはいえ、権益は欲しいわけで、

封建制の国々は交易を可能と

するために、外国の港湾を

自国の支配下に組み込んでいくのだ

欲しいのは港であって、

土地ではないのだ

皇帝制の国の場合、他国の

人民や領土を丸ごと

「自国の支配下」に組み

入れようとするのだ

ユーラシア及び北アフリカでは、

広大な領域国家は必ず皇帝制の

下で成立したのだ

無論、アメリカ大陸に広大な

領域国家を作ったスペイン王国、

「大ゲルマン主義」という

狂った思想の下で東ヨーロッパを

征服したナチスなど、多少の例外は

あるのだ

とはいえ、大清帝国、ロシア帝国、

ムガル帝国、オスマン帝国などの

「大帝国」は、全て軍事力をもって

「領土の拡張」を繰り返した

皇帝制の国々なのだ

また、自国領土にならない

地域に対する態度も、

封建制諸国と皇帝制諸国とでは

異なるのだ

封建制の国々は、他国を

「植民地」と化す

それに対し、皇帝制の国は

自国の領土に組み込めない

地域については

「衛星国」「属国」として

支配しようとするのだ

例えば、典型的な皇帝制の

大国であったソビエト連邦

ソビエト連邦には皇帝は

いなかったと思われるかも

しれないが、実際には

存在したのだ

ずばり、ソビエト連邦

共産党なのだ

そういう意味では、現在の

中華人民共和国も同じく

皇帝制になるのだ

冷戦時代、東ヨーロッパ諸国は

ソ連の領土にはならなかったが、

衛星国と化したのだ

あるいは、かつての大清帝国

大清帝国はチベットや朝鮮

(李氏朝鮮)を属国にしていたのだ

自国領にできるならば併合、

できないならば属国化

これが、皇帝制の国の支配形態

なのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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