どうも村田です
日本に襲来したのは、
「黒船」ではなく
軍事技術と生産技術
なのだ
二つ目が、産業革命で
インド産のキャラコ(綿製品)
に対抗するべく、イギリスは
自国市場を「閉ざした」上で、
綿製品の生産性向上の
技術開発を始めたのだ
1733年、イギリスの
ジョン・ケイが織機の一部
である杼を改良した飛び杼を
発明したのだ
これにより産業革命が
本格的に始まるのだ
イギリスでは、次々に新しい
技術や発明が生まれ、
綿製品の生産性が急激に
上昇する技術的ブレイクスルー
が起きたのだ
そして、最終的にはGPT
(汎用目的技術)
である蒸気機関が誕生する
ことになったのだ
GPTとは、特定の目的に
限定されず、様々な分野に
利用可能な技術のことなのだ
蒸気機関から蒸気機関車が、
蒸気ポンプが、そして
蒸気船が生まれたのだ
その蒸気船が、ひたすら
繰り返された戦争によって
発達した兵器、大砲を積み込み、
日本に襲来したのだ
1854年に日本にやって
きたのは、「黒船」ではなく、
圧倒的に差をつけられて
しまった軍事技術と生産技術
だったのだ
もし、日本が鎖国政策を
採っていなかった場合、
早期の段階でベンガル湾
においてイギリスと戦う
ことになったのではないか
という「幻のベンガル湾海戦」
について書いた
日英両国によるベンガル湾
海戦が「史実」だったとすると、
その時期は1600年代の
前半だったと思われるのだ
つまりは、ペリー来航の
200年以上も前になるのだ
幻のベンガル湾海戦の
勝敗はどうあれ、日本は
東南アジアからインドに
かけて「日本人町」という
拠点を作りつつ、欧米諸国との
接触を続けたはずなのだ
時に交易し、時に衝突し、
和解と決裂を繰り返しつつ、
日本は欧米諸国の戦争や
産業に関する「技術」を
吸収していっただろう
何しろ「儲かる」わけで、
綿布産業の技術獲得、
技術開発を進め、日本は
インドにおけるイギリス
綿産業の競合になった
可能性が高いのだ
実際、明治維新後に日本は
綿布産業の技術力を高め、
最終的にはイギリスを
追い抜くに至るのだ
実際には、江戸期の日本は
オランダから蒸気機関に
ついて多少の知識は得ていた
ようだが、何しろ実物がなく、
使いこなすまでには
至らなかったのだ
東南アジアやインドで欧米
との接触を続けていたならば、
状況はまるで変わっていた
はずなのだ
その場合、江戸時代は
1867年で終わらなかった
可能性があるのだ
さすがに、議会制民主主義
に移行することは避けられず、
徳川将軍家も
「強力な旧・封建諸侯」の
座に甘んじざるを得なかった
だろうが
明治になり、懸命に
「富国強兵」路線を追求する
必要はなかったはずなのだ
いずれにせよ、歴史に「if」
は禁物なのだが
現実にはベンガル湾海戦は
起きず、日本は鎖国下の
太平を楽しみ、結果的に
軍事、産業分野の技術力で
欧米に大きく後れを取る
に至ったのだ
とはいえ、何しろ江戸期の
資本蓄積があったため、
明治維新後の日本は
「明治産業革命」により、
技術力について驚くほどの
速さで欧米に追い付き、
やがては凌駕するに至るのだ
つまりは、日本は元々が
大国なのだ
人口大国であり、
食糧生産大国であり、
かつ、産業大国なのだ
しかも、江戸時代はほぼ
鎖国状態であるにもかかわらず、
3000万人以上が暮らして
いたわけだから、資源生産性
(単位投入資源当たりの
製品生産性。産業や人々が
いかに資源を有効に利用して
いるかを示す指標)
という意味だと世界
ダントツなのだ
今の日本も、資源生産性は
世界トップ水準だが、
江戸時代の場合は間違いなく
「世界一」なのだ
当時の江戸日本の資源生産性、
一資源単位当たりで暮らして
いける人口の数は、現在の
日本ですら到底かなわないのだ
現代の日本の礎となる発展は、
基本的には江戸時代に起きた
のだ
ただ、江戸時代の日本人は
戦争をしなかったのだ
さらに、産業革命の情報が
あまり入らず、蒸気機関の
活用に遅れを取っただけの
話なのだ
だからこそ、当時の日本が
小国に「見える」という
だけで、実際には異なるのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる