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日本が存在しているんじゃ

どうも村田です

今日は久々に自宅に帰った

単身赴任と大差はないが

家は落ち着く

また台湾についてだ

現在、台湾人の人口の10%が

日本語を話すのだ

この比率の高さは世界に類を見ない

もちろん日本統治時代を経験した

世代も含まれているがなぜこれほど

日本語の話者が多いかというと、

若い世代も日本語を学習している

からなのだ

台湾も日本と同じく英語が必修科目だが、

1990年代から高校で第2外国語も

選択科目として必修となったのだ

第2外国語にはフランス語やドイツ語、

ロシア語、スペイン語なんかもあるが

生徒のだいたい9割が日本語を選択

しているのだ

だから、日本語世代の台湾人が

いなくなってしまったら、日本語を

しゃべる台湾人がいなくなってしまう

のではないか、と危惧する声も聞くが

そんなことはないのだ

台湾の20代、30代の若い世代は、

非常にきれいな日本語を話す

彼らは日本のドラマをよく見ているし、

NHKも毎日放送されているのだ

そして、日本についてものすごく

関心を持っているのだ

嘘つきNHKを鵜呑みにしないか

我々日本人は心配するところだが・・

2019年10月にひどい台風が日本を

襲った時、「日本は大丈夫か」と、

台湾人はみんな自分のことのように

心配していたのだ

3.11の時も自分のことのように

心配し義援金をどこよりも多く早く

送ってくれたのも台湾だ

それは台湾の中に日本が存在して

いるから、台湾人は日本のことを

まるで自分のことのように考えて

しまうのだ

それくらい、台湾の中に日本が

存在しているのだ

台湾社会の隅々に日本が存在しているし

これからも存在していくであろう

台湾では日本の短歌や俳句や川柳

そういった日本の文学、文芸を、

若い人たちも含めて作る方が

大勢いてそういう分野での日台の

交流もあるのだ

台湾の人が俳句を作るとなると

台湾の文物、動物や植物も日本とは

違うから台湾の歳時記を作った

黄霊芝先生は日本語で物を考え

日本語で物を書かれた旧世代の方

だがそれが途絶えるのではなくて、

若い人たちもその伝統を受け継いで

やっているというのは日本人として

大変ありがたいことなのだ

台湾人が台湾で詠んだ短歌を集めた

歌集で、菊池寛賞を受賞した

『台湾万葉集』を読むと日本人と

台湾人の情緒の同質性を実感するのだ

「海角七号君想う、国境の南」という

台湾映画があり現代の日台男女の恋愛

ストーリーに絡めて、日本統治時代の

日本人教師と教え子の台湾人女生徒との

切ない別れの物語が描かれている

終戦で日本に引き揚げて行った日本人教師を

女生徒は台湾の南端の街でずっと待ち続けていた

しかし、日本人教師が再び台湾に戻ることはなく

女生徒もやがて結婚し家庭を築く……

日本人が見ると非常に申し訳ないというか

悲しい気持ちになるが、台湾人と日本人の

魂の絆を感じる映画

この映画が台湾でものすごくヒットしたの

は、台湾で戦後ほぼ初めて、台湾人の視点で

日本人の先生と台湾人の生徒という師弟の絆

を描写したからで

ストーリー自体はごく平凡で単純だが、

台湾人の魂を揺さぶったのだ

しかも、若い世代の台湾人の魂を揺さぶった

そうだったのか、祖父母の世代にそういう

ことがあったのかと知ったのだ

この映画の後、同じ監督による

「KANO1931海の向こうの甲子園」

という映画が放映され、これもまた台湾で

大ヒットしたのだ

日本でも公開され話題になりKANOは、

戦前嘉義市にあった嘉義農林学校の略称の

「嘉農」のことだ

戦前の中等学校、今でいう高等学校、

甲子園の話で1931年の全国中等学校

優勝野球大会に、当時弱小チームと言われた

嘉義農林が日本人監督の元で実力をつけ

台湾地区代表として出場して決勝戦まで

行くという実話を元にした映画

この「KANO」という映画は

「海角七号」からさらに一歩進んで

台詞の8割くらいは日本語なのだ

日本人の俳優は数人しかいないのに、

台詞の8割が日本語なのだ

その時代を忠実に再現しようとした

この映画を日本人が見ても違和感は

ないものだった

今日は長文になったので

次回は続きを書いていく

今日はこのくらいにしといたる

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