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甚だしいんじゃ

どうも村田です

平成の30年を振り返る

のだ

少し前の1979年には

エズラ・ヴォーゲルさんが

『Japan As No.1

(ジャパン・アズ・

ナンバー・ワン)』

という本を書き、

「日本は少なくとも産業面では

ナンバーワンの地位をアメリカ

から奪いつつあるのではないか。

特に製造業面では、日本に

見習わないといけない」と

主張しベストセラーになったのだ

1980年代前半はアメリカの

ハーバード大学でも、

「日本を見習え。日本では…」と

「In Japan(イン・ジャパン)」

「日本では」というと、みんなが

聞き耳を立てていたのだ。

「日本ではこういうふうに

しています」

「そうか。これはアメリカも

学ばなければいけない」

「日本の通産省はこういう

政策を取ってうまくいった」

「そうですか」と、みんなが

日本に学ぼう、そして、

もう1度アメリカが世界一の

座を取り返そうと必死だったのだ

1985年、この年にプラザ合意

で日本は円高シフトにはめられ、

日本経済は少し苦しくなっていく

わけだが、ともかく当時は1ドル

250円、260円で、

日本経済にとっては非常に楽な

時代で、その時代、1980年代後半は、

間違いなく日本の半導体産業は

世界一だったのだ。

半導体は、当時から

「産業界の米である」と言われ

ていたのだ

「米」という言い方は日本人

にしか通じないかもしれない

けれど、産業を動かす、

重化学工業を動かす石油の

ような役割なのだ

因みに【プラザ合意】とは

1985年9月22日、先進5か国(G5)

蔵相・中央銀行総裁会議により

発表された、為替レート安定化

に関する合意。円高ドル安に

誘導する内容であったのだ

しかし、今日の日本の

半導体産業は全く世界の二流、

三流に落ちこぼれてしまったのだ。

この30年間で、すっかり衰退

してしまったのだ。

これは、経営者が悪かったと

思うのだ。

日本には優れた技術者が

たくさんいて、

「次はもっと微細化だ。

小型化だ。そのために

こうしなきゃいけない」という、

アイディアも技術もあったのだ。

一時期は

「東芝のフラッシュメモリーは

世界一だ、素晴らしい」と、

そういう技術を次から次へ

つくり出していたのだ。

アメリカが驚き、何をやっても

日本にかなわないという時代が

あったのだ。

しかし、バブルの収束の

仕方を間違えたのだ。

バブルは、株価と土地の値段

だけのバブルであり、それまで

日本の製造業がやってきたことは、

全然間違っていなかったのだ

しかし、それから景気が

下向きになってしまったから、

明日のための技術投資を日本の

製造業がやめてしまったのだ

そして、金融機関から社長が

派遣され、立て直しに来た

彼らがやることは、まず

クビ切りで

優れた技術者でもクビを

切ってしまったのだ。

そして、工場の切り売り、

持っている資産を売り払って、

キャッシュ・フローが良く

なればそれでいいということ

をしたのだ

日本人は終戦後も1950年代、

1960年代と本当につらい

思いをしながらも、

明日のために技術を集積し、

人材を育て、技術を育ててきた、

それが継続しなくなって

しまったのだ

「目の前のキャッシュ・

フローだけ良ければいい」

ということなのだ

そしてクビになった技術者

はシに雇われ、台湾に雇われ、

韓国に雇われていったのだ。

世界一であった家電産業も

全部解体されてしまったのだ

ソニーもパナソニックも、

みな半導体からは撤退

してしまい、

日本の半導体産業がダメに

なったと言われていたのは、

すでに10年前なのだ

2010年、2000年代に

「ああ、日本の半導体産業

はこんなにダメになったのだ。」

と言われ、

その衰退ぶりはあまりに

激しかったのだ

今、かろうじて日本には

半導体の素材を供給する

フッ素ガスとか、

信越化学が

シリコンウェハーの供給

では圧倒的なシェアを

占めているとか、

そういう遺産は若干残って

いるが、小型化、微細化、

回路幅が5ナノメートル、

3ナノメートルという

ような技術は、

全然競争すらできない

という状況になって

しまったのだ

ところが、日本人の中には、

この30年前の半導体産業が

世界一だった日本の

イメージを持って、

いまだに

「日本経済、日本の技術、

日本の半導体産業は強い。

日本の製造業は世界一だ」

と誤解している方がいるのだ

これは悲しいことで

戦略論の航空戦略の中で、

零戦の話があるが

1940年、昭和15年当時、

零戦はアメリカの戦闘機が

5機一緒に掛かってきても

かなわないぐらいの

間違いなく世界一の戦闘機

でそれが、1945年、5年後

にはもう世界の二流の戦闘機

でしかなかったわけなのだ

この5年間の技術革新に、

日本は完全に置いて

いかれたのだ

そして平成30年は、

それよりも6倍も長いのだ

30年の間に世界一であった

日本の半導体産業は、

すっかり衰退してしまったのだ

それを誤解して、いまだに

「日本の半導体産業は

世界一だ。台湾に技術を

盗まれてる」

ということを言っている

方がいるが、事実誤認も

甚だしいのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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