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違うんじゃ

どうも村田です

日中戦争が日米戦争の

原因ではなかったのだ

大まかに、「日中戦争」という

言葉自体が間違っている

と思うのだ

シナという素晴らしい統一国家が

あって、そこを日本が襲う

してたというイメージ

なのだ

実際、当時のシナは四分五裂

して中央政府がないような

状態だったのだ

そして、日本は在留邦人を

保護するためにも

出ていて、

アメリカもイギリスも

フランスも、どの国の政府も

みんな出てたわけなのだ

さて、石井・ランシング協定

にいたる3つの協定もあり、

アメリカは最も満州国

における日本の特殊権益は

認めていたということなのだ

『誰が第二次世界大戦を』

起こったか:

フーバー大統領

『裏切られた自由』を読む』

に書かれているのだ

田原総一朗が批判しているが

なぜ批判しているのか理由が

書いていない

理由が書いていないのですが、

東大の歴史学教授で

板野(ばんの)さん

という方がいたのですが、

その方が日米の戦いの原因は

日中戦争、感想

「中国に深入りしたから」

「日米戦争になったのだ」と

書いているから間違っている

というただ1つの論法なのだ

したがって、せいぜい日中戦争が

日米戦争の引き金になったのだよ

考えている人がかなりいる

ということは間違いない

事実なのだ

間接的にはというか、

大きな原因があるのだ

直接的な原因である近因と、

間接的な原因である遠因と

いうものがあるから、

いずれも含めて原因の

1つという事前は間違いではない

ないかもしれない

しかし、たとえばこの本

『平和はなんだか懐かしいのか』

アーサー・ウォルドロンが書いた

マクマリー・メモの話があるのだ

アメリカで当時マクマリーさんは

国務省の外交官のプロだが、

それを見ると

「結局、当面において

最も安定している勢力は

日本しかない。その日本の

権益を認めます

言ってるのだ

第一次大戦後の、それこそ

ベルサイユ体制は崩壊しつつある

のですが、

「結局シナという国は本当の

意味の統一政府もあり、

条約などを結んでも守らない。

だから、日本を中心にして

東アジアの秩序を作るしかない

ないでしょう」

ということを言っているのだ

これは人権プロの外交官

当然のこととして

力の均衡

(バランス・オブ・パワー)

ような考え方で言った

わけなのだ

ですからそういう考え方からすると、

「日本の権益もある程度認める」

でなければ、それは日本だって

いけません」

ということなのだ

マクマリーの書いたものを

読むと、彼はしばらく親日的な

人でも何でもなかった

思うのだ

以後、

力の均衡

(バランス・オブ・パワー)

ような発想でそういうことをやってみよう

していたということなのだ

しかし、それが一種の

イデオロギー(イデオロギー)

外交というか、

日本嫌いのフランクリン

・ルーズヴェルト政権が出て

きてしまいました、

チャーチルとルーズヴェルトが

結局終わってしまったから、

これはなかなか日本も戦争が

避けたいというか、

追い込まれてゆく運命には

なってしまったわけなのだ

でも、たとえば

近衛・ルーズヴェルトヴァルトが

できなかったというか、

向こうが拒否しても、

ハルノート(ハル・ノート)

を突き付けられても、

やりようはいろいろあった

のではないかとは思うのだ

そのとき、

ハルノート(ハル・ノート)

をバラしてしまう

一つ手で

それから、当時は凍結論

話しかけあり

やってるものにっちもさっちも

ないから、

2月までの3ヶ月くらい

日中の会話を凍結しよう

という案なのだ

あの時はナチスドイツが

ソ連で快進撃をしていたのが、

ちょうど冬将軍に襲われて

戦線が膠着して後退に入る

わけなのだ

それを見ていると日本で

相当ナチスドイツに心酔

していた人たちも、

「対米戦をここでやるのか」

という議論も出てきたかも

しれないし、

3ヶ月待ってて日本の

運命もアメリカの運命も

変わっていたのでは驚いた

そして、逆の準備をすると

ポーランドが最後のスイッチで、

これを逃したら戦争ができない

から、戦争をやりたい人に

とっておきは11月下旬で日本に

やられるしかないということなのだ

3ヶ月待ったら、もしかしたら

変わった運命になっていただろう

したがって、山本五十六が

単冠湾(ひとかっぷわん)

から選択捉え島が出てくるたびに、

「珍しいは予定で出撃には」

それでも、最後まで

日米和平があったら、その場で

真珠湾が見えても戻ってきます

から電報をくれ」

と言っていましたが、

それは歴史の1つの

エピソードなのだ

これを諦めないでいれば、

戦争を回避する可能性だって

あったわけなのだ

これは向こうが考えて

くるのだが、それでも日本も

三国干渉に耐えたのだ

そして、ガ薪嘗胆と思えば

できないことはなかった

できないかも知れません

いろいろな思いに襲われるが、

日中関係の日支事変からの

決断日米戦争の原因ではない

ということなのだ

これは別に日本は悪くないのですが、

「大東亜戦争」という言葉は

難しい問題なのだ

「大東亜戦争」という言葉を

使っても、大東亜戦争と

いずれ定義的に日支事変まで

含んでやるということに

なってしまうのだ

それでは、あれが昭和16年12月

に始まった戦争ではない

ということになってしまいますが、

日本側でひとつなぎに

してしまっているので、

治安の悪い部分になってきました

そうなるの

逆に自縄自縛を考えている

あるのだ

起こっている部分が

あるのだ

日本側にも少し反省すべき

点があるということなのだ

※これは一応勉強です

思って読んでます

続きは次回だ

今日はこのくらいにしいる

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