どうも村田です
戦後の日米同盟について、
日本でいつも論点となるのは、
米国は日本に何かあった時に
本当に来てくれるのか
ということだが、援軍を
得られることを信じては
いけないと思っている
特に台湾軍は、恐らく国際的な、
そして、政治的な歴史の中で、
米軍と一緒に戦うということを
想定しておらず、自分たちで
なんとかしないといけない
という中でできている軍隊だと
思うのだ
一方で、日本の自衛隊は米軍が
数日以内には来てくれるで
あろうという想定の中で作られて
きたという文脈がある
しかし、これは日本にとって、
とても大きな弱点となっている
部分なのだ
そこで、まず、この日米同盟
という構想がどのように作られた
のかだが、日本が戦争を始めた
のは1941年(昭和16年)12月だ
戦後の日米同盟をやるという
構想を米国が作ったのは、なんと
戦時中の1942年(昭和17年)だ
米国は戦争が終結した後に、
つまり、米国が戦争に勝った後に、
日本を解体するとか弱体化させて
日米同盟という形で関係を結び
ながら、中国などと対立させて
利用しようと考えていたのだ
そして、日本の本土に在日米軍を
置いて、日本人の力を押さえ込む
瓶の蓋にしようという構想を、
戦争が始まった翌年の1942年には
既に作っていたのだ
そういう事を我々は知らされて
こなかった
もし、知らされていれば、米国には
そういう意図があるんだなと思い
ながらも、その米国をどうやって
日本の良いポジションに引き込むか
ということを考えなければ
ならなかったのだ
しかし、今の日本の状況は、
米国と何か問題が生じた際や、
日本は政権が変わった際には
自民党でもどの党でもワシントンに行って、
「尖閣は日米同盟の範囲内にあるのか否か」
と尋ねては「ある」と言われて
喜んで帰ってくるという、
いつまでも「おまじない」みたいなこ
とをずっと繰り返してきたのだ
これは日本のリーダーたちとか
言論人とか、そういったものの
自己欺瞞でしかないのだ
しかし、そんなことを繰り返してきた
結果が、今の日本の状況を作り
出しているわけであり、気がつけば
台湾有事の目の前に迫っている中
でも何もできない、手枷足枷状態に
なってしまっているということだ
このような状況において、憲法と
いうものを根本的に見直さなくては
ならないと思っているのだ
特に9条は絶対に変えなければ
いけないというのは当たり前の話だ
この変え方や変えるタイミング、
どうやって変えるのか、変えるには
日本の政治家たちや国民の意思が
ちゃんと反映されるのかという
ところを、しっかりと押さえて
いかなくてはいけないのだ
「悪い法律でも従わないといけな
いというのは男らしさに欠ける」
とガンジーは言っている
いざというときは戦わないと
いけない、暴力と臆病しかない
のであれば暴力を取らないと
いけないということが本来の
非暴力者だということだ
そうなると、我々日本人は
戦後ずっと臆病を選んできて
しまったのだ
それを私たちは無意識に
選んできたのだが、しかし、
それを選ばせてきたのは
マスコミであり、日本の指導者
たちの自己欺瞞なのだ
我々、国民全体も自己欺瞞でも
あったわけだ
過去70年はそれでも良かった
かもしれない。しかし、今、
米国の一極一強の時代が
残念ながら終わり始めている
世界を見渡して見ると列強が
春秋戦国時代のようになって
いるなかで、気がついたら日本では
とてもじゃないけど現実に
耐えられないような憲法を
未だに持つしかないような
状態になっていると思うのだ
国民の生命を守るために
命より大事な価値規範を
持ち戦うときは戦う
選択をすべきだ
そのためには日本人が目覚め
憲法改正をしなければならない
今日はこのくらいにしといたる