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引き継がれとんじゃ

どうも村田です

江戸時代からの伝統と

言えば、現在の日本は

「森林大国」なのだ

飛行機で日本上空を飛ぶと、

とにかく森だらけ、

山だらけなのが日本の

国土なのだ

江戸時代まで、日本人

にとってエネルギー源は

木材しかなかったのだ

当然ながら、森林が伐採され、

日本中「禿山だらけ」と

なってしまうのだ

江戸時代の葛飾北斎の浮世絵

を見ると、山はほとんどが

禿山で、松の木だけがポツン

と生えているという構図が

実に多いのだ

森林資源が枯渇すると、

我が国では人間が生き延びる

ことができないのだ

というわけで、江戸時代の

日本では第一期の大規模

植林が行われた

(※第二期は戦後)

現在の日本の森林被覆率は

70%と非常に高いが、これは

江戸期の植林が発端なのだ

江戸期に植えられた木は、

当然ながら都市化による

木材需要を満たすことが

目的だったのだ

特に、徳川家康が江戸に

幕府を開いて以降、江戸城を

はじめ、大名の屋敷、

武家屋敷などの建設が相次ぎ、

木材需要が急増したのだ

自然林は伐採しつくして

しまったため、その後、

木材として使いやすい木の

植林が始まったのだ

具体的には杉の木なのだ

現代の日本人の多くが

苦しむスギ花粉症

花粉症の発端は、江戸建設

とその後の杉植林なのだ

何しろ、日本の森林面積

2508万ヘクタール

のうち、

448万ヘクタールと、

約18%をスギ人工林が占めて

いるわけだから、半端じゃ

ないのだ

さて、経済あるいは

生産活動において、

農業と並んで重要な産業

である「工業」だが

封建制の下で、封建諸国、

江戸時代は「藩主」だが、

諸藩の藩主たちは自分たちの

領土、領内の経済振興に

努めたのだ

自らの責任、判断の下で、

様々な投資を実施したのだ

しかも、江戸幕府は外様

大名たちの力を弱めるべく、

様々な普請(築城の際の

土木工事を言う)を命じたのだ

さらには、参勤交代も強制で

普請も参勤交代も、毎回、

莫大な出費となるのだ

名古屋城は徳川家康の命に

より建設されたと書いたが、

実際に資金や労働力を

負担したのは、加藤清正ら

外様大名たちなのだ

幕府が何か事業を思いつく

たびに、外様大名たちは

資金や労働力を提供せざる

を得ず、財政は当然ながら

逼迫するのだ

ならば、領内の経済力を

強化するしかない

新産業を興そう、新田を

開発しようということで、

投資が繰り返されたのだ

家内制手工業は、日本の

場合は中世に始まったが、

全国的に広まったのは

江戸時代なのだ

江戸末期の19世紀初頭には、

工場制の手工業も始まったのだ

結果的に、各地に「特産物」

が生まれ、現代に引き継がれ

ているのだ

新田開発で米の生産量が増え、

特産品の生産性が高まっていくと、

生産物を「全国」に販売する

ための運送ネットワークが

必要になるのだ

日本の国土はとにかく山

だらけ、川だらけである

ため、陸運よりも「海運」

という話になり、大阪を

起点に廻船航路が開拓されたのだ

いわば、日本版大航海時代

の到来なのだ

さらに、参勤交代の際にも

様々な特産品が江戸へと

運ばれたのだ

各地の特産品が廻船航路で

全国に移出(輸出ではない)

(貨物・産物を国内の他の

地域へ送り出すこと)

され、将軍の御膝下にも

物品が集まり、

当時、世界屈指の人口を

誇った江戸住民に消費され、

理想的な分散と統合が

実現したのだ

ある意味で、当時の日本

では国内的に

「グローバリズム」が

実現したのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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