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誇りをもつべきなのじゃ

どうも村田です

日本の文化の感化の力は、

すでに台湾の50年間で実証済み

なのだ

ところが、その日本文化の力を、

日本人自身があまり知らないのだ

日本の学校教育では、日本が

台湾を統治したことについても、

「植民地にした」と表面的なこと

しか教えず、日本が台湾でやった

ことや、台湾に及ぼしたプラスの

影響について教えないのだ

台湾のことにはほとんど触れずに、

日本はシナや朝鮮半島やアジアで

いかにひどいことをやったか、

日本はいかにダメな国なのか、と

教えているのだ

本当のことを教える教科書もないし、

教える人もいない

もし、近現代史について、日本を

プラスに評価しようものなら、

「軍国主義の復活」と批判されて

しまうのだ

だから、日本がこれまでにしたことは

全部だめだと解釈するようになってきて、

日本人は本当にだめなんだと、だんだん

と自信喪失になっていくのだ

しかし、一歩日本の外に出ると、じつは

そうではないことに気づくのだ

日本の文化にはほかの国にはない

優れた部分があって、自分の中の

当たり前の日本人的な部分が外国では

とても評価される

どんなに時代が変わっても、日本人が

日本人的な部分を失うということは

あり得ないと言えるのだ

日本人の職人気質についてだが

日本人はこの道一筋50年、60年と

いうのが大好きなのだ

そして、日本刀の刀工や陶芸、

ガラス細工などの工芸作家でも、

うどんを打っている人でも、

料理人でも、職人はみんな同じ

ことを言うのだ

この道一筋でやっているが、

ここで天狗になってはいけない

毎日努力する、毎日向上して

いくんだと・・

毎日同じことをやっているように

見えるが毎日違うのだ

うどんを打っている人からすると、

空気の湿度も、相手にする小麦粉も、

毎日ちょっと違う

だから、同じことを毎日やっている

ように見えても毎日違うのだ

これで十分ということはなく

その日の終わりに、

「非常によくできたな」と思っても、

翌日になって昨日の仕事を振り返ると、

まだまだだと思うのだ

それはどの分野の職人も同じで、

「一生修行」 と口を揃えて言うのだ

これは世界中どこの国だろうと

台湾人やチャイニーズには真似

できないことなのだ

台湾人やチャイニーズは、

作られた物の形を見てすぐに

「自分にもできる」と、

ただ形を真似して、見た目は

本物そっくりのものを作る

それがアメリカ人になると、

その物の原料を調べて、

水が何㏄、小麦粉が何グラム、

そば粉が何グラムと分析し

マニュアル化するのだ

そうすればアメリカお得意の

チェーン店になるのだ

しかし、それは日本的ではない

日本的なのは、究めて究めて

さらに究める、研究に研究を

重ねてなお研究するという精神だ

そして、それを誇りに思っているのだ

外国の人間から言わせると、

なんだ、それしかできないのか、と

しかし日本人は、それしか

できないことが誇りなのだ

それはまさに日本人的な部分であり

すなわち研究者気質なのだ

学者にかぎらず、一般の日本人も

同じで、日本の文化のすべての

礎はそこにあるのだ

細微にまでこだわって、一生の

時間をかけて究める

手を抜かない

この点は、ほかのどの国の民族も

真似ができないことだと思うのだ

そんな日本人であることは世界に

恥じることでなく寧ろ誇りに

思うことなのだ

自虐史観から脱却し

誇りを持つべきなのだ

今日はこのくらいにしといたる

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