どうも村田です
ほとんどの日本人が
勘違いしている
そもそも江戸時代以前
から日本は「小国」
でも何でもなかったのだ
日本が小国だったと
いうのは、自虐史観に
染まった我々が抱く
印象に過ぎないのだ
例えば、当時の日本と
欧州諸国の「人口」を
比較してみると
1750年、1850年
の主要国の人口だが
1750年、アメリカの
人口はわずかに200万人
に過ぎなかったのだ
同じ時期、日本の人口は
すでに2800万を
超えていたのだ
江戸時代の初期の時点で、
実は日本は欧米諸国よりも
人口が多かったのだ
欧州の人口大国と言えば
フランスだが、それでも
2470万人なのだ
あるいは、オランダ
あの広大なインドネシアを
植民地にしたオランダの
人口は1750年でも
200万人でしかないのだ
1850年に至っても、
300万人。
日本は江戸中期、吉宗の
時代に経済がデフレ化し、
人口が停滞し始めたが、
1850年、明治維新の
少し前で3200万人
欧米と比べると、それほど
増えてはいないが、それでも
当時のアメリカやイギリス
よりも多くの人々が
日本列島に暮らしていたのだ
日本は少なくとも近世以降は
人口大国だったのだ
なぜ、日本が人口大国だったのか
食料、特に穀物の生産性が
大きな影響を与えているのは
間違いないのだ
日本は稲作であるのに対し、
欧州は麦作
稲作の収穫倍率
(播種した種子に対して、
どれだけの収穫の倍率が
あったのかを表す)は
中世においても20倍で
あったのに対し、
小麦は何と5倍なのだ
1粒の小麦を蒔き5粒しか
収穫できないわけなのだ
しかも、当時の欧州は小麦の
連作障害を回避するため、
三圃制
(連作による地力の消耗を
防ぐために耕地を三つに区分し、
一つを休閑とする輪作が行われた)
を採用していたのだ
それに対し、日本の水稲農業に
連作障害はないのだ
中世の欧州と日本を比べると、
同じ土地で養える人口が
十倍も違ったのだ
日本は、元々が人口大国だったのだ
さらに、倭寇の時代から、海に
乗り出し、交易(や海賊)で
儲ける気概あるいは伝統が
あったのだ
機会さえあれば、日本人は次々に
海に乗り出し、豊かな生活を目指す
朱印船時代には、ついに
東南アジアで数千人規模の
日本人町を作るに至るのだ
当たり前だが、当時のインドや
東南アジアに、数千人もの
欧州人が暮らす町は存在
しなかったのだ
アフリカ回り、大西洋・太平洋
回りで、危険な航海を経なければ、
欧州人はアジアに辿り
つけなかったわけだから、
至極、当然の話なのだ
歴史に「もし」は許されないが、
日本が鎖国をせず、
「幻のベンガル湾海戦」を
イギリスと戦った場合、
その後の世界は大きく
変わっていただろうと思うのだ
我々日本人の先人たちの
素晴らしさは人口も
そうだが後世に受け継がれる
その国体だ
おばあちゃんの知恵袋など
今でも伝えられるその
経験を我々は改めて
感謝すべきなのだ
そしてその国体を
護持すべきなのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる