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嫌いな言葉なんじゃ

どうも村田です

民主主義という価値観のもとでも、

同様に連帯意識が重要になって

くるのだ

昔、ポーランドのワレサ議長が

「連帯、連帯」と言っていたど、

それと似て非なるものなのか、

あるいは同じようなものなのか、

あるいは国民の間に連帯意識、

仲間だという仲間意識がないと、

自由民主主義国家では

福祉システムは成り立たなく

なるのだ

民主主義では、さらに多数派が、

意見を異にする少数派の声に

耳を傾けることが重要、必要で

あると言われるのだ

これも、多数派の側に少数派で

あっても同じ私たちの仲間なのだ

という意識がないと耳を傾けよう

という発想が起きてこないのだ

仲間だからこそ、

「今回この問題に関しては

あなたたちの意見は少数派だけれど、

何々、どういう理由で反対しているの?

どういう理由で賛成しているの?」

と、多数派も聞く耳を持とうと

することが出てくるわけなのだ

同じ仲間意識があればの話で

仲間意識がなければ少数派は

切って捨てようという発想に

なってくるのだ

少々見解が異なるとしても、

みんなの声を聞いて自分たちの

社会や国をともに支えていくという

社会や国に対する愛着の念がないと、

民主主義というのは長続きしないのだ

だから、移民の大規模かつ急激な

受け入れは、自由民主主義の政治が

成り立つ条件である国民の間の連帯意識、

そして社会や国に対する愛着の念を

壊してしまう恐れがあるのだ

移民の大規模かつ急激な受け入れ

というのは、ワーッと来たら

仲間意識や社会や国に対する

愛着の念というのを、彼ら自身も

壊してしまう恐れがあるのだ

つまり、自由民主主義体制は、

本能的というか、本来的には

移民の大規模を受け入れには

むしろ慎重なのだ

この自由民主主義体制下においては、

G7、日本もそうだが、いわゆる

主要先進国と言われている国の

制度のもとにあっては、

受け入れる側と移民との間に

強固な信頼関係がなければ、

社会福祉も成り立たないし、

意見の違いを乗り越えて

共存することもできない

難しいことなのだ

だから、リベラルを自称する人々は、

自由民主主義というリベラリズムの

理論に対する根本的な理解に

欠けていると思うのだ

人間というのは、そもそも

一人前になるには

まず生まれてお母さん、お父さん、

家族と話をする

要は、母国の言語を覚え

文化を身につけることなのだ

そしてようやく一人前に

なっていくのだ

しかし、自称リベラルの人は、

自称リベラルというのは左翼の連中だ、

自分たちが進歩的だと思っている

連中だが、こういう連中は文化の

拘束から抜け出すことがリベラルだと

勘違いして、自分の母国の文化から

脱出することが進歩的だと信じ込んで

いないかということなのだ

これが俺の嫌いな偽善的な言葉

「地球市民」のことなのだ

地球市民が存在できればそれに

越したことはないだろう

しかし、宇宙人が攻めてこなければ

地球市民などというものは作られないし、

国境もなくならない

だから地球市民というのは偽善的で

嫌いな物言いなのだ

自称リベラルの連中は、国境などは

時代遅れで、移民を受け入れていくこと

で他文化と共生していくのが理想だと

考えているのだ

共生できればいいが、しかし

その先のことについては思いが

至らないという無責任なのだ

川口のクルド人の話がそうだったが

クルドの人たちが暴れた時に

こういう連中たちは何か声を

上げたのか?

社会は秩序で成り立っている

ルーツも文化も宗教も言語も、

ごった煮のような寄せ鍋のような

混ざり合った社会にどうやって

秩序を形成すればいいのだ

きれいごとで「多様性」や

「多文化共生」と言っているが、

大変なことなのだ

ロシアや中国のような専制国家は、

自由を束縛して互いの密告や

顔認証システムを導入して

厳しい監視社会をつくることで

強権的に秩序を維持しているのだ

少なくとも、日本や欧米諸国の

ような自由や民主主義を尊ぶ国では、

ロシアや中国のような強権的な

ことは不可能なのだ

というよりロシアや中国など

に日本はならないのだ

天皇を中心とした八紘一宇

の建国の精神だからだ

いずれにせよ西洋民主主義

での秩序は保つのが難しい

ということなのだ

今日はこのくらいにしといたる

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