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水に流すんじゃろうが

どうも村田です

「過去のことは水に流そう」

と語った中国三首脳

陳毅、 周恩来、 毛沢東

古野直也氏は戦前の陸軍

士官学校を出たシナ政治の

専門家であり、張孝文、作霖、

学良の波乱の人生を書いた

名著

『張家三代の興亡』

(芙蓉書房出版、1999年刊)

の著者として知られる人物だ

その古野氏が、

著書『中国幻想』のなかで、

1958年夏、15名の

「元日本軍人訪中団」が

北京で中国首脳部と会見し、

懇談した内容を紹介している

1958年といえば国共内戦が

終結し、中華人民共和国が

成立した1949年から

わずか7年しか経っていない

時で、支那事変勃発からは

12年、まだ両国とも現役で

戦った人たちが生存していたのだ

昭和三十一年夏、十五名よりなる

「元日本軍人訪中団」が北京市

中南海において中国首脳部と

会見し懇談した

その内容は日中双方で校正し、

中国人民外交学会により

印刷配布された正確なものである

この訪中団は海軍が

中将・金沢正夫他二名、

陸軍は中将・土井明夫(団長) 、

同掘毛一磨、同遠藤三郎

以下九名の計十五名の将校

により構成されていた

公賓として鄭重な接遇で、

ことに毛主席との会見は

国賓待遇であったことを

追記する。

中国首脳との会見要旨は

次の通りである。

この記録は、日中間で照合した

もので、正確である。

記録者は少佐、犬飼総一郎氏

である

八月十六日

陳毅元帥・副総理・外交部長陪席者・

廖承志 、蕭向前  場所・紫光閣

「日本は過去において中国を侵略したが、

それは既に過去の歴史となったことだ。

我々は前向きに見るべきであり、

後ろ向きに見るべきではない。

日本は現代化の技能を持ち、

高度の文化を持っている。

日本の人々は勤勉であり勇敢である。

日本人が平和建設を進めさえすれば

日本の前途は偉大になるであろう。

八年の交戦中は貴君等が老師(先生)

であった。日本軍は極めて大きな

戦闘力を持ち世界で第一級だった

と言ってよい。

過去数十年のことは

すべて水に流しましょう」

八月十九日 周恩来総理

陪席者・廖承志、蕭向前、

蔡廷カイ将軍(上海事変の十九路軍長) 、

劉斐将軍(日本陸大卒、国民政府作戦部長) 、

蕭向榮中将(国防部弁公室主任)等

十一名の将官。 場所・紫光閣

「中国と平和共存できるか、

中国は対外侵略をしないかは

長期的な考察をして欲しい。

政府は人民に対して他国を敵視せず

恨まないよう、また、日本人民

には友好的であるように教育宣伝

している

中国は他国を仇敵視せず、

中日友好は他国を排斥しない。

中日国交回復は望ましいが急がず、

民間交流を多くすれば、残るところは

政府間交流のみである。

日本に学ぶ必要があり、稲作技術も

その一つである

(翌年日本の指導を実施した) 。

皆さんは中国人の誰とでも

接触してよい。

軍人と交流されてもよい」

九月四日 毛沢東主席

「真心より歓迎する。話し合うことで

関係は改善される。過去のことは

一切忘れよう。

将来のこと、現在のことを考えよう。

皆さんを友にしなければ不幸だ

日本は大国であるから学びたい。

日本が戦後に果たした(交流など)

役割に感謝し、今後もより大きく、

大きく果たすよう望んでいる。

中国の建設には、時間、平和、友好、

他国の援助が必要だ。私は日本との

友好を望んでいる。

過去に殴りあった人、共産主義を罵倒

した人でも歓迎する

東久邇宮から手紙を戴いたので、

御礼の言葉を伝言して下さい。

そして過去のことを語る必要はないと。

又御趣旨には完全に同意すると、

よろしくお伝え下さい。

天皇陛下によろしくお伝え下さい。

私たちは、ラオスやカンボジアの

王国を尊重していて、日本の天皇も

尊重しています。

日本国人民の幸福と天皇の御健康を

お祝い(祝福)します」

主席は勤政殿の中庭に一行を

迎えて記念撮影をしてから

勤政殿に案内して会談に移り、

終わると玄関まで見送り次々に

団員と握手した。

〈記録・団員犬飼総一郎氏〉

毛主席以下、中国の首脳の発言を

分析してみると、過去は水に流す

と言う。現在の江沢民、朱鎔基の如く、

非礼にして金銭欲の言行は皆無である。

拝金主義の洪水の中で毛主席の

思想を忘れたのであろう。

中国に対して、朝貢外交をして

三跪九叩頭の謝罪は不要

なのではないか。

現在の中国指導者が小粒の

上海商人になったことを

知るべきである。

陳毅元帥のみが 「侵略」

という言葉を使ってはいたが、

「日本軍が先生だった」

というのだから驚きだ

大衆を虐殺した軍を先生と

呼ぶはずがないからだ

当時の中共指導者の

思いなど無視を決め込む

共産主義者などやはり

信用できない

今日はこのくらいにしといたる

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