どうも村田です
今日はやたらと歩いた
もちろん仕事でだが
おかげで治りかけた膝が
悲鳴をあげている
医者の言うことを聞いて
昨日まで良くなってきたのを
実感していたが戻ってしまった
とほほだ・・・
話は変わるが今日は真珠湾攻撃
から振り返ってみることにする
1941年(昭和 16年) 12月8日
日本帝国海軍はハワイ真珠湾基地を
攻撃太平洋戦争が始まった
日本ではそれをシナ大陸での戦闘も
含めて大東亜戦争と命名した
日本軍は敵の不意を突くために
攻撃は宣戦布告と同時に行うと予定されていた
実際には攻撃開始より1時間後に
宣戦布告が届いたため米国側は
これを卑怯な奇襲と受け取ることになる
米国ではいまだに日本の最後通牒が
遅れたことを「だまし討ち」だったと
言っている
しかしおもしろいことに英国のチャーチルが
この件に関して日本の悪口を言っているのを
聞いたことがない
英国からすれば始めてもらってよかった
日本が真珠湾をやってくれなければ
自分たちは困ったことになっていた
というのがよくわかっていたからだろう
日本軍が真珠湾を襲ったとき
世界で初めてのホットラインが
ルーズベルトとチャーチルの間に
つながっていた
大西洋を渡る海底ケーブルの電話で
チャーチルもルーズベルトも大変に喜んだのだ
真珠湾奇襲の報を受けチャーチルが言った
有名な言葉がある
「We are on the same boat」
ついに一緒の船に乗った
これで英米は運命共同体だ
これで米国が参戦してくれる
ジャップのバカめと思ったことだろう
これで勝てる!と確信したチャーチルは
その夜はぐっすりと眠れたと
『第二次世界大戦回顧録』に書いているほどだ
日本軍が真珠湾を攻撃した直接の意味は
米国の第二次大戦参戦を可能にした
米国に参戦の絶好の口実を与えたことだ
日本は緒戦の勝利を祝って提灯行列を
やって喜んだのだが日本の首脳陣は
誰もこの謀略の深さを理解していなかった
実はルーズベルト大統領にはというより
米国では大統領には宣戦布告をする
権利がない
これは米国で憲法を作ったときに
大統領が勝手に戦争を始めることのないよう
にということで宣戦布告をするのは議会の
権限とされている
また、軍隊を募集し編制することも
議会の権限なのだ
今も大統領は米国合衆国軍の最高司令官
としての指揮権を持っており軍隊を動かす
ことはできるが 48時間以内に議会に
報告する義務があるとか60日を過ぎたら
軍事行動に議会の承認がいるなどの
制限がある
大統領の戦争に関する権限を明確に
するための立法でウォー・パワーズ・アクト
(戦争権限法)と言いベトナム戦争における
成り行きまかせの拡大に対する反省から
できた法律だ
つまり、ルーズベルトといえど
議会に出てきて演説をし議会が宣言を
して対日宣戦布告ということになるのだ
真珠湾攻撃の翌日ルーズベルト大統領は
日本に対して宣戦布告を求める議会演説
(恥辱の日演説と呼ばれる)を行った
この演説に下院議員としてそれを支持する
演説をしたのがハミルトン・フィッシュⅢ世だ
フィッシュはルーズベルトとほぼ同じ世代
の人間でニューヨーク州の名門一家に生まれ
1920年(大正9年)から 45年(昭和 20年)に
かけてアメリカ合衆国下院議員を務めた
ルーズベルトとは若いころからの知り合いで
ニューヨークの州議会議員を一緒にやっていたが
あるときから2人の道は大きく分かれていくことになる
ルーズベルトがヨーロッパの戦争に
介入したがっているのを知り
アメリカ中立運動の先頭に立っていた
フィッシュは真正面から対立する
しかし日本が真珠湾を攻撃したことを理由に
日本に対する宣戦布告をルーズベルトが
議会に求めたことに対して当時共和党指導者の
ひとりだったフィッシュも議会で賛成演説を
せざるを得なかった
フィッシュは後日自分の本
『ルーズベルトの開戦責任』など
で「私はハル・ノートのことは全く知らなかった」
と繰り返し書いている
「ハル・ノート」は
コーデル・ハル国務長官が日本側に示した
覚え書きのような文書だが事実上の最後通牒だ
フィッシュはこれを
誰がどう見ても宣戦布告そのもの
これを突き付けられたら
どの国でも開戦せざるを得ない
ルーズベルトは国民を欺いた
と言って激怒した
彼は東京裁判のパール判事と同じような
ことを言っている
ルーズベルトはそんな話を一切出さず
「アメリカが平和を求めて交渉している最中に
日本は真珠湾を奇襲した」と演説し
開戦の承認を求めた
これはアメリカ国民を裏切り
戦争へと追い立てる扇動の言葉だった
「しかし、私(フィッシュ)は日本への
宣戦布告の賛成演説をしてしまった
生涯の一大ミステイクであり非常に恥に思っている」
と彼は書いている
日本から見れば侵されては困るギリギリの国益と
名誉というものがある
そこに踏み込まれれば戦争せざるを得ない
というところに日本を追い込んだのが
アメリカの要求(ハル・ノート)だった
とフィッシュは書いている
「日本を追い込んで戦争をさせるなんて
とんでもないことだ日本は悪くなかったんだ」
と、フィッシュは言っている
戦争が終わり大陸にいた日本人がみな
日本に帰ってくることになるのだが
当時海外に出ていた日本人の数は
大変なものだった
そもそも日本国内だけでは貧しいから
ということで大勢の人が国を出ていたのだ
このことを見ても、日本が絶対に諦めることが
できない権益をルーズベルトが手放せと
言ってきていたことがわかるだろう
完全にルーズベルトとその取り巻きが
始めた戦争なのだ
米国の国益のためには必要なかったし
日本が自分から進んで始めた戦争でもない
これはルーズベルトの謀略である
ということをフィッシュは自分の本で
堂々と書いている
フーヴァーだけではなく
ウェデマイヤーなど米国の愛国者の
何人もが同じように主張している
先の対戦についてGHQによる
日本弱体化政策で日本が悪で
米国(戦勝国)が善だった
と言う刷り込み教育がなされた
日本人に改めて読んで欲しいものだ
米国人の米国保守系の人たちは
皆本当のことを語り米国人として
誇りがあるから真実を知りそれを
恥と思い本にしている
米国でもルーズベルトのような
リベラル(現代で言えば)の連中が
仕掛けた謀略が未だに引き継がれて
日本を貶めているのだ
日本はアジア解放のために
また、坐して死を待つくらいなら
戦っての死を選んだのだ
武士の国である日本人が日本を
貶められれば牙を剥くのは当然なのだ
我々はそんな先人の思いを間違いが
ないように後に続く後進たちに
伝えなければならない
今でも日本を貶める間違いを強調し
て喧伝しているのは共産主義者や
社会主義者といったリベラルであり
マスコミだ
これは日本を貶めるだけでなく
今や米国内部でも米国の解体を
図ろうとしている
その先方が米国民主党であり
今ではバイデンなのだ
先の大統領選挙もおかしいところばかりだ
米国ですら手を焼いている
リベラルと言われる連中と
我々の戦いは今後も続くだろう
次回は米国を侵略する共産主義の
脅威について書いていく
今日はこのくらいにしといたる