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無視されてきたんじゃ

どうも村田です

『動物農場』というのは

比較的短くて、1937年に

彼は思いついて、

1943年末になってから

書き始めて、1945年に

ようやく出たのだ

で、早川書房の『動物農場』

の新訳版、これを読むと参考

になったのは、原版にない、

小説そのものは原版そのもの、

またオリジナルの内容

そのものなのだが、

これに対して二つの新しい

文章がついていたのが

非常に参考になるのだ

1945年に出版されたときに、

表には出なかったのだが、

報道の自由に関して、

この『動物農場』の本来の

序文として、案として

オーウェルが書いたものなのだ

というのは、『動物農場』

の出版にものすごい彼は

苦労したのだ

出版してくれる出版社が

なかったのだ

それで大変な苦労をして、

出版社4社に断られた

ということなのだ

イデオロギー的な理由で

断られたのは、1社だけ

であると

それから、非常な、当時、

既にロシア批判を、

ソ連批判をするということ

に関して、

イギリスの中でものすごい

自主規制があったと、

その自主規制でこんな

ことをやっちゃだめじゃ

ないかということを彼が

鋭くこの序文で言ってるのだ

出版されなかった序文で

彼の、序文案として、この

文庫本には出てるのだ

1943年に書いて、44年とか

45年に、『動物農場』の

この内容自体がソ連を強烈に

批判してるから

といって出せなかった

ということ、これは大変な

問題だぞということで、

日本なんか今もより強い

規制がさまざまなところで、

特に中華人民共和国の批判

をするということに関しては

働いているんじゃないかと

思うのだ

で、活字のほうはともかく、

特に電波なメディアでは

それが著しいというふうに

思うのだが、

この『動物農場』の序文案で

オーウェルはこういうことを

言っているのだ

結局、出版の試みは出版社

4社に断れることとなる

このうち、イデオロギー的な

動機があったのは1社だけだ

2社は反ロシア的な本を何年も

刊行していたし、もう1社は

目に見える政治色は全くなかった

ある出版社は実際に本書を

受け入れようとしたのだけれど、

最初の取り決めをしてから

情報省に相談してみたら

出版をやめるよう警告された

から、少なくともやめるよう

強く忠告されたらしい

もし、このおとぎ話が

独裁者全般は独裁制一般を

対象にしているのであれば

刊行しても大丈夫だが、

このおとぎ話は間違いなく

私見ながら実に忠実にロシア、

ソビエトと、その独裁者2人の

歩みをたどるものとなっている

ので、

ロシアのことを描いている

としか思えず、他の独裁国家

は全く対象になっていないと

いえるほどなのだ

もう一点あり、この

おとぎ話での主要な階級が

ブタでなければこれほど

不適切とはならなかった

だろうと。

支配階級としてブタを選んだ

ことは間違いなく多くの人々の

不評を買うでしょううんぬんと。

だから、政府の側から、これは

望ましくないよとイギリスで

言われちゃったというのだ

で、オーウェルはこう抗議

するのだ

でも、現時点での思想の

自由や言論の自由に対する

主要な危険は、情報省などの

各種公的機関による直接の

介入ではない。

出版社は編集者たちが自ら

ある種の話題を出版されない

ようにするのは刑事処罰が

怖いからではなく、

世論が怖いからだ。

この国では物書きや

ジャーナリストが直面する

最悪の敵は知的な憶病さで

あり、

私に言わせればこの事実は

正当な議論を受けていない

ように思うと。

そういうことについて、

みんながちゃんと論じてない

というわけなのだ

オーウェルの言葉を続けるが、

今現在、主流となっている

正統的な見方で求められて

いるのは、

ソ連の無批判な称賛だ。

これは誰でも知っていて、

ほとんど誰でもこれに従って

いる。ソ連体制に対する

まじめな批判、

ソ連政府が隠しておきたい

事実の公開はすべてほとんど

印刷不能だと

これが終戦直後ぐらいの

イギリスの状況だったのだ

スターリンに対する攻撃を

印刷してくれる人はほとんど

いないのに、

チャーチルへの攻撃は

少なくとも本屋や雑誌では

全く安全だったのだ

日本でも安倍首相に対する

批判なんかはやりたい放題

だったが

習近平に対する批判は

少なくともテレビ、

メディアなんかはあまり

やらないのだ

安倍批判ばっかりで

どっちが全体主義で、

どっちが自由主義で政治

やってんだということなのだ。

日本では首相に対する

批判はまだまだできるのだ

シナでは最高権力者に対する

批判は全然できないわけなのだ

で、そのことをあからさま

にすること自体も、日本では、

活字のメディアではそこまで

タブーはないと思うが、

電波、地上波のテレビなんか

で習近平批判っていうのが、

特にチベットとか、

ウイグルの弾圧とか、

法輪功の弾圧とか、

あんまり出てこないのだ

で、やっぱり1941年以来と

いうことは、第二次世界大戦

でソ連がイギリスやアメリカ

の同盟国になって以来、

そういう批判ができにくく

なったということを

オーウェルは言ってるが、

こういうふうに言って

いるのだ

イギリス知識人の相当

部分が1941年以来、

ロシアのプロパガンダ

をうのみにして広めて

しまった

奴隷根性は実に驚くべき

ものだと言いたいところ

だが、実は以前にも何度か

似たような振る舞いを見せ

ていると

大きな論争を呼んだ

各種の問題で、次々と

ロシアの視点は検討なしに

受け入れられ、

歴史的な真実や知的誠実さ

など、全く無視して

広められてきたと

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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