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俯瞰して見るんじゃ

どうも村田です

都心にある「チャイナ団地」

と呼ばれる話を中心に、

移民問題について

勉強していこうと思うのだ

都会のコンビニでは、

今やベトナムやミャンマー

といったアジア系の外国人が

レジ打ちをする光景が当たり前

となり、彼らなくしてはもう

営業が成り立たない

それほど、こういう人たちの

労働力が欠かせないものと

なっているのだ

コンビニだけではなくて、

農作業とか製造業でも

技能実習生や特定技能労働者

として多くの外国人が汗水を

流して働いている

最近では、中国人を中心に

IT業界や不動産業界といった

ところで働く人も増えており、

昭和とか平成時代のころには

なかった、何となくザワザワ

した感じを持ち始めた人も

少なくないのではないだろうか

今や、何かというと

外国人労働者ら移民を念頭に

「多様性」とか「多文化共生」

という言葉がもてはやされている

それ自体は決して悪いこと

でもないし頭から否定する

ようなことでもないのだが

方向性を間違えると来る側も

受け入れる側もストレスを感じ、

必ずしも平穏で安全な暮らしやすい

生活が送れるとは限らないといった

日常を招く結果となりかねない

懸念をはらんでいるのだと思うのだ

多文化共生は

「他の文化を強制的に受け入れるもの」

であってはならないと思うのだ

言葉の響きは同じ

「たぶんかきょうせい」だが、

他の文化を強制的に受け入れる

というのは、受け入れる側に

ストレスが発生するので

決していいことではないのだ

多文化共生とは言うが、

その実、日本で最も多い外国人

は日本に帰化した中国人で、

彼らを華人という

中華の「華」で、華人も

含めれば100万人を超えると

見られるのだ

そういった在日中国人との共生、

すなわち中華文化とどうやって

共生していくかということに

ほかならないのだ

実は多文化共生と言っても、

本当のことを言えば中華文化と

どうやって共生していくのか

ということだ

「多文化共生」と言うと聞こえは

いいが、この美辞麗句に酔って

「自分は寛容で懐の深い日本人なんだ」

と悦に入るのは簡単だ

はっきり言えば、こういうこと言って

「進歩的ですね」なんて言われるのは楽だ

しかし

「無責任なことは言いたくない」

ので

「皆さん、多文化共生っていうのは

考え直した方がいいんじゃないか」

ということを提案するのだ

臭いものにふたをして、

見て見ぬふりを続けた結果に起きる、

日常生活上の問題とか治安悪化の問題に、

美辞麗句の「多文化共生」と

言っている人間は責任を果たして

くれるのだろうか

公団のクルド人の問題があって、

これは川口市内の話だが、

責任を果たしているとは

言い切れないという状況なのだ

外交と同じで、移民問題

というのはひとたびことが

起こると、人権が絡んできたりして

取り返しのつかない結果を招く

ことというのが往々にしてあるのだ

地球儀を俯瞰する鳥の目

あとは身の回りを観察する虫の目、

よく木を見て森を見ないと、

森ばかり見ているとその中で

何が起きているかが見えない、

その両方を見る意味で

鳥の目と虫の目というのを使うが

この両方を使いながら移民問題を

考えていきたいと思うのだ

今日はこのくらいにしといたる

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