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話して分かるやつばかりじゃないんじゃ

どうも村田です

確かに日本文化は、

寛容なのだ

しかし、西尾さんの論考を見て

「なるほど、そうだ」と思ったのは

「日本社会というのはその実

何でも受け入れるふりをして、

結果的に受け入れない、入れない

ものについては全く入れない、

外光遮断型でもある

と言うのだ

「ほう。どういうことなんだ」

と思うのだが、要は

「対決型の異文明、異なる文明に

出会うと、凹型に反応し」、

凸凹の凹で、受け入れ型のこと

だが「凹型に反応して、一見

受け入れたかに見せて、相手を凹の

括弧でくくって、イソギンチャクが

食べてしまうかのようにくくって、

それを国内の片隅に置き去りにして

置いていく」と言うのだ

そういう国民性も、日本の社会には

あるというのだ

現にキリスト教は世界に広まっているし

イスラム教も広まっているが、あまり

広まっていないがユダヤ教、それに

韓国の儒教、こういう一神教、

原理主義というのは日本には受け入れ

られないのだ

絶対に入ってきていないのだ

日本にはどこにでも神社があり

「八百万の神」の国だから、絶対に

根付かないのだ

中国にも儒教はあるが、日本には

定着しないのだ

「日本は一見寛容でいて寛容ではない」

と西尾さんが言うのはそういう部分が

あるから、原理主義的なもの、敵対型の

異文明は日本には定着しないのだ

この論考には頷けるのだ

西尾さんもエマニュエル・トッドも

施光恒教授も同じことを言う

「現実には、多民族共生社会、

多文化社会というのは、世界でも

実現した試しのない空論であって、

元からあった国の民族文化を壊して、

新たな階層分化を引き起こすだけなのだ」

と言っているのだ

日本は

「少数の外国人の固有文化を尊重せよ」

という話がまかり通ったりする

それを多くの人にそれを押し付ける

ムードというか風潮があるのだ

川口市の多文化共生指針もそうだ

彼らが日本文化を拒否している

部分もあるわけなのだ

話して分かる相手ばかりではないのだ

大分県日出町と杵築市という街で

イスラム教徒の土葬の問題があるのだ

宗教上の理由で火葬を絶対的に

拒否するのだ

これに地元の方ともめているのだ

日出町の方とは合意して、元から

あった修道院の近くに土葬の墓地を

作ることで合意したのだが

今度はそこに接する杵築市の住民

たちが反対運動を起こして、

結構大変なことになっているのだ

これは、話し合ったから分かる

というものではないのだ

これから、日本は大変なことになる

都心では条例などで23区は

アスファルトだらけだから

土葬もへったくれもない

埋葬に関する法律は日本にも

国内法であるけれど、土葬

は禁止にはしていないのだ

かつては土葬がメインだったけど、

今はほとんどが火葬なのだ

96%、97%は火葬だが、

そういうところで「土葬をさせろ」

と言っているのだ

立命館アジア大洋州大学APU

というのが大分県別府市にあり、

そこの先生がパキスタン出身の

先生で、土葬運動をやっているのだ

地元の町会議員も「絶対に譲れない」

と言っているのだ

今後、日出町だけの問題だけではなく

移民を受け入れれば受け入れるほど、

増えてくるのだと思うのだ

この日本で生まれ育ったムスリムの

人も出てくるだろう

そういう人たちは今更親のルーツ

だからといって、生まれたことも

住んだこともない国に自分を土葬

してくれとは思わないで、

「日本でできれば埋めてほしい」

と思うようになるのではないだろうか

そういう問題も含めて、今後

移民問題をどうするのか

ということを真剣に考えて

いかなければいけない時期に

なっているのだ

今日はこのくらいにしといたる

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