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捏造をここでもやっているんじゃ 

どうも村田です

今日はいきなり台湾についてだ

清の時代、台湾の民族は3種類に

分類されていた

その3民族とは生蕃、熟蕃、漢人

「蕃」は字のごとく野蛮人ということで

生蕃というのは開化していない野蛮人

今の原住民のこと

熟蕃というのは漢民族の社会に慣れている

野蛮人、平埔族のこと

そして漢人、と区分していた

どの人種に属するかにより課される税金の

額が異なった

生蕃が一番高くて、次に高いのが熟蕃

一番安いのが漢人で、漢人は優遇された

生蕃は熟蕃への帰化は認められているが

漢人には帰化できない

一方、熟蕃は漢人に帰化することが

認められていた

清から台湾の各地に地方官が派遣されてくる

たとえば派遣されてきたのが林という苗字の

役人だったらその地域の熟蕃に 「賜姓」

(苗字を恩賜すること)して私と同じ林

という苗字にしなさいと勧める

嫌なら税金を5倍にするぞと言うのだ

熟蕃はそれなら苗字を変えて帰化しよう

ということになる

すると役人は、苗字を変えるなら

ついでに自分の祖先もあげよう

「祖籍」と言い、祖先もあげようと

「族譜」という家系図をくれるのだ

次に、言葉まで変えてしまう

当時の役人はほとんどが福建省の出身

だから福建の言葉を話す

それで、その地域の住民たちに福建の

言葉を勉強してしゃべるようにと強制

するのだ

姓や民族のみならず祖先までも変えて

しまおうということなのだ

まさに中華発想なのだ

そして、何世代か経つと、自分たちは

「漢民族だ」と思い込むようになる

漢民族の役人が熟蕃だった平埔族に

先祖までくれ家系図までくれたので

我々の先祖は福建省のどこそこから

来ましたと信じ込むようになったのだ

要するに偽りの歴史を自分の

アイデンティティーにしてしまった

ということなのだ

正に歴史の捏造だ

たとえば我が家も、代々伝わる族譜によれば

いちおう、福建省の泉州というところから

台湾にやって来たとされているわけだ

一番分かりやすいのは客家だ

客家は広東省からやってきて、本省人の

うちの13%くらいを占めるということに

なっている

台湾では客家人が住んでいる地域はだいたい

決まっていて数が少なく、固まって住んでいる

北の方では新竹県や苗栗県、南の方では台中

市東勢や高雄市の美濃とか苗字も鐘とか徐

とかだいたい決まっている

つまり、 そこの地方官が客家人で客家語しか

話せないので自然とそこの住民も客家語を

しゃべるようになるのだ

それで、その土地に代々住んできた住民は

自分の先祖は広東省から来た客家人だ漢民族だ

と思っているのだ

実際には客家人と少しも血の繋がりがない

彼らもまた台湾の平埔族なのだ

統計を見れば一目瞭然で、昔から今にいたるまで

台湾に住む民族の中で最も人口が多いのは

平地に住む平埔族だ

オランダ時代にすでに30万人いたのだから

日本統治時代の台湾の全人口は250万人で

そのうち平埔族はおそらく150万人いた

だろうと言われている

台湾の最大民族である平埔族が突然消えて

しまったなどということはあり得ないのだ

平埔族は農耕民族で生活は、山に住む

狩猟民族の厳しい生活と比べて安定したものだ

その生活が一番安定していたはずの平埔族が

忽然と消えてしまい、山に住んでいた

狩猟民族だけが、台湾にもともといた原住民と

されているのだ

本来は平埔族も原住民であり、現在漢民族に

分類されているいわゆる本省人こそが

平埔族なのだ

「原住民」という言葉は、1990年代まで

台湾にはなかった

それまでは「山胞」と呼んでいて

「厳しい山の中に住んでいる同胞」ということ

で蒋介石が名づけたのだ

日本時代は「高砂族」と言った

台湾の原住民研究は、初めての台湾人総統、

李登輝の時代になってようやく開放され

それまでは国民党の言論統制が厳しく

台湾人は自分たちの歴史を研究すること

を禁じられていたのだ

台湾史に関する書物を読んだり、

探求したりするだけで罪になった

清の時代、生蕃から競って熟蕃になり、

熟蕃から競って漢人になった

日本統治時代もそのままの戸籍制度

生蕃、熟蕃、漢人という民族分類を

踏襲し1945年まで続いた

当然、 人間だから、 戸籍に「蕃」という

字がいわゆる野蛮人と書かれているのは

嫌だから「違う、私は文明人だ」と

こぞって漢人に帰化した結果、熟蕃であった

平埔族が消えてしまったのだ

台湾人は政治的なタブーがなくなってから

ようやく台湾史や民族学の研究を始め、

自分たちは漢民族ではなかったと

気づくようになったのだ

国民党時代は原住民も9民族しか認められて

おらず中には違う民族グループに組み込まれ

てしまっていた民族もあったのだ

彼らが自分たちは別個の民族であると主張

し始めて今では山に住んでいる原住民として

政府に認定されている民族は16部族

そして平埔族は、平地に住んでいる原住民の

総称であって、その中にまたシラヤ族や

ケタガラン族やそのほかたくさんの違う

民族が存在している

だから台湾人は台湾人と俺は

言い続けている

中華思想による捏造なのだ

次回も台湾人は台湾人だという

証拠を書いていく

今日はこのくらいにしといたる

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