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草の根運動じゃ

どうも村田です

国民の思想を代えることは

もちろん、急にはできない

例えば、まずは100人の

リーダーにわかっていただく

その100人がまた100人に

正しいことを伝えて、わかって

もらえれば、1万人になる

その1万人が100人に伝えて、

わかってもらえれば、100万人

になる

さらにその100万人が100人に

伝えて、わかってもらえれば、

1億人になるのだ

大事なことは、

「全体を上から見眺める」こと

つまり「俯瞰」することなのだ

そして「俯瞰で見る」ということ

それ自体、それはすでに1つの

「思想」となっているのだ

そうした俯瞰で見るという体験が、

物ごとに対する1つの大局的な

もののミカタを提供するからだ

このブログを読んだあなたは

日本のデフレ問題、これまでの

歴史の問題、学者や政治家、

官僚たちの問題などを

「上から俯瞰的」に眺めたのだ

そんなあなたはすでに

思想を実践したのだ

思想は世界を変えるのだ

わかっている人が少しずつでも、

そうした、国民を豊かにする

という意味において正しい

「反緊縮」思想を他の人に伝える

ことで、必ず変わっていく

ことができるのだ

こう言うと

「いやいや、そうは言うものの、

そんなに簡単ではないですよ」と

言う人が必ずいる

そういう人には、こんな話を

するようにしよう

ある1つの架空の蓮の花を

想像してください

その花は分裂して増えるのだが、

1つの花が1分後には2つに増える

というように分裂していくのだ

実在はしないがそういう

蓮の花があると想定して

みてほしい

ある大きな池がある

その池にこの蓮の花を1輪投げ込むと、

24時間後にその池は蓮の花で

いっぱいになった、ということを

イメージしてほしい

以上がこの話の前提で・・

そして、ある日、夜中の0時に、

その広い池の中にその蓮の花を

1輪投げ込んだとしよう

そうすると、その大きな池の水面に

浮かぶ蓮の花は、どのように見えるか

花を投げ込んだとき、上から

その池を眺めていても、何も変わりない

何時間経っても、何の変化もわからない

蓮の花は、1分ごとに倍、倍に

なっているのだが、池が広すぎて、

そんなものはまったく見えないのだ

夜の20時や21時になったら、少しは

見えてくるだろうか

いや。けっして何も見えない

池の表面は、ただただ、1つの

蓮の花を入れた夜中の0時と何ら

変わらない

22時になっても23時になっても

状況は同じだ

池の表面はまだまだ静かなままだ

そして、ようやく「僅か」な変化が

見え始めるのは、23時50分を過ぎた

頃だ

このときに初めて、池の端に僅かに

蓮の花が「何となく」あるのが

見えてくる

そして55分になったとき、池の面積の

「32分の1」の所に蓮の花がある

状況になっている

そして、23時58分のとき、ようやく、

池の4分の1が蓮の花に被われ、59分の

ときに池の半分が被われ、そして、

24時になって初めて池の表面がすべて

蓮の花に被われるのだ

24時間のうち、最初の23時間55分

くらい(それは全体の時間の99%以上)

は「ほとんど増えていない」ように

見えるのだ

しかし、最後の5分で一気に全体を

覆い尽くすのだ

「思想の広まり方」も、このような

イメージなのだ

こうして地道に思想を広めていく

活動を続けていたとしても、

その活動が花開き、世界を変える

のはその活動を行っている時間の

1%以下の僅かな時間だけなのだ

成功を収める思想運動でも、

そのための時間の99%以上は、

誰にも気付かれはしない、

地道な草の根運動なのだ

我々も運動を展開しているが

今は広がりが見えていない

しかし、継続すれば必ず

日本主義が国民を豊かにし

世界全人類に平和を齎す

そう信じて日々運動を展開

しているのだ

今日はこのくらいにしといたる

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