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外国人に笑われとるぜ

どうも村田です

今日もクソ暑かった

代わり映えの無い日なので

そのまま国連の正体について

書いていく

the United Nations

連合国でその出生のDNAを

見ても反日の戦争遂行組織で

あったということは明らかなのだ

1942年1月1日

日本の真珠湾の攻撃から

1月も経たないうちに

米国のルーズベルト大統領が

その言葉を初めて使った

ルーズベルトは日独伊三国同盟と

戦っている国 26カ国の代表を

米国の首都ワシントン D. C. に招集

そこで各国が持てるすべての

物的人的資源を枢軸国に対する

戦争遂行に充てること

ドイツ、日本、イタリアと各国が

単独で休戦または講和をしないことを

明らかにした「連合国共同宣言」が

署名された

その前は英語では第二次世界大戦の

連合国を「Allies 」(同盟国)と

呼んでいたがこのとき

the United Nations (連合国)と

いう言葉を使ったためこの言葉が定着した

創設の経緯を綴った

「国際連合:その憲章と機構国連広報センター」

のホームページを見ても、theUnited Nations

 =連合国=国際連合であることが

ひと目でわかる

このような経緯を踏まえ戦後の国際組織としての

the United Nations 国際連合(国連)

呼ぶことにする

国際連合の前には国際連盟があった

国際連盟は、1919年に国際協力の

促進や国際平和を目的として設立されたもの

第一次大戦の反省から生まれた

ものだが提唱した米国が参加せず

後には日本、ドイツ、イタリアが脱退

するなど力を発揮することができず

第二次世界大戦を防げなかった

だから国際連合設立の構想は

第二次世界大戦初期から連合国の

間で高まっていたのだ

英米による 1941年の大西洋憲章では

第二次世界大戦後の世界に国際連盟に

代わる国際平和機構を創設構想

すでに示されていた

その後米国が「国際連合憲章草案」を

完成させ 1943年のモスクワ宣言で

初めて具体的に提案

1944年ダンバートン・オークス会議で

国際連合憲章の草案が採択された

1945年2月のヤルタ会談を経て

年4月5日から6月 26日にかけ

日本またはドイツに宣戦布告して

いる連合国 50カ国の代表

サンフランシスコに集まる

サンフランシスコ会議が

開かれ審議が行われ6月 26

50カ国が国際連合憲章に

署名して会議は終了した

こうして国際連合は 10 24日に

正式に発足しドイツが会議開催中の

5月7日に降伏し日本が8月に降伏する

ドイツの降伏の後日本の降伏の前の

6月に国際組織としての

the United Nations は生まれたのだ

国連への加盟の条件は何だったのか

加盟資格は「1945年3月1日

までに日独に対して宣戦布告を

している国だった

イタリアは枢軸国側では一番早く

戦線が崩壊して 1943年9月8日には

無条件降伏したので

この時イタリアは入っていない

無条件降伏したイタリアは

10 13日には連合国側に立ち

ドイツに宣戦布告した

その後、日本に対しても

宣戦布告をする

国連憲章第4条には

「国連への加盟は憲章に掲げる義務を受諾し

かつ国連によってこの義務を履行する意志と

能力があると認められるすべての平和愛好国

に開放される」とある

平和愛好国の実態は戦勝国連合だったのだ

加盟を希望する国が

「平和を愛好する国であることを証明」

するために日独に対して宣戦布告を

する必要があったのだ

枢軸国に対してともに戦うと誓った 

1942年1月の「連合国宣言」に参加した

26カ国だが 45年6月サンフランシスコ

においてthe United Nations として集った

国は 51カ国に上った

戦争をしていないラテンアメリカの国

なども皆日本とドイツに宣戦布告をして

参加させてもらったのだ

日独に対して宣戦布告した国々を

集めて誕生したのがthe United Nations 

という組織

国連は初めから戦争をするための

組織なのだ

枢軸国に対して戦う国際的な同盟で

戦争を遂行するための国際機関だった

平和のための国際機関ではないのだ

それは、国連憲章第3条にも

「国際連合の原加盟国とは

サンフランシスコにおける

国際機構に関する連合国会議に

参加した国又はさきに

1942年1月1日の連合国宣言に

署名した国でこの憲章に署名し

且つ、第110条に従ってこれを

批准するものを言う」と

書いてあるのだ

the United Nations という組織が

誕生した経緯を知れば遺伝子の

レベルにおいて反日組織であった

ということがわかったと思うのだ

戦勝国連合としてのthe United Nations

憲章のなかには、いまだに敵国条項がある

敵国条項とは何かといえば

国連憲章のなかにthe United Nations 

の敵だった国々(日本、ドイツのこと)

が不穏な動きを見せたと判断した場合

には国連に諮ることなくつまり国連の

承認なしにいつでも自由に軍事攻撃を

加えてよい

という主旨の条文が含まれている

これは現在に至ってもいまだに

改正されてないのだ

日本は国連に対する拠出金が

かつては二番目に多かったのにだ

(現在は三番目)

国連憲章には武力行使の禁止(第2条4項)

集団的武力行使権限の安全保障理事会へ

の集中化(第42、46 48、条など)

などの規定があり国連で集団行動を

とる場合は国連安全保障理事会にかけられ

その合意を経てということになる

「旧敵国に対する行動に関する限り

それに拘束されない」とされている

朝鮮戦争のときに国連軍が組織された

このときはソ連が欠席していて提案が

安全保障理事会を通ったために国連軍

という名前を使った

しかし「旧敵国」相手(日本やドイツ)

にはそのような手続きはいらないのだ

日本やドイツは旧敵国だから

この国が悪いことをしていると

思ったら国連に入っている当時の

加盟国 51カ国はどの国でも

安全保障理事会にかけることなく

勝手に攻撃して構わないという

ものすごい差別条項があるのだ

差別を嫌い一々調査をし

日本に差別についての文句を

つけているはずの連中が

平気で日本とドイツに差別を

しているのだ

敵国条項の存在については

ときどき論じられるがそんな条文が

まだに残されている排除されていない

のは大問題なのだ

憲章の条文には具体的な敵国の

名称はないのだが明示されていない

からこそ敵国条項は残ったとも言える

そういう遺伝子が今でも伝わっている

ことはやはり日本人として知っておくべき

もしあなたが国連は真の平和の組織で

あると信じているのであればなおさら

日本はこの敵国条項だけは排除しなければならない

これこそ日本が率先して国連改革の一歩と

して進めなければならないこと

戦後 70年以上にわたり国際連合

というのは大変美しい平和のための

組織であるという神話を多くの日本人が

信じてきた

しかしこれは全部幻想で嘘だったのだ

実態は英国、米国、ソ連を中心とした

国々が日本とドイツと戦うために

創った国際機関が大元だったのだ

外国人から見れば日本人が国連に

対して幻想を抱くことが

本当にお笑い種なのだ

国連など信用のできない組織だと

理解ができたであろう

次回は国連の総会について

書いていくつもりだ

今日はこのくらいにしといたる

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