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米国人ですら知っている

どうも村田です

今日はニュースでどこの国かわからないが

山火事の状況が流れていた

付近にお住まいの方にはお見舞いを

申し上げたいがその報道もまた

印象操作がされていた

まるで地球温暖化のせいで山火事が

連発しているそんな報道だった

山火事は乾燥した木が擦れた摩擦熱

などで発生するものだろう

林業従事者が間引きなどを行う

ことができるような事業体制を維持できれば

山火事は防げるのだ

それを地球温暖化のせいにする

これも利権が絡んでいる誰かの

印象操作であるということを

言いたいが俺は終戦の日に向けた

記事を書いていくので悪しからずだ

フーヴァーが、1946年(昭和 21年)

5月の上旬に来日したのだが

その目的は敗戦国への食糧援助だった

時のトルーマン大統領から

依頼され日本、ドイツの視察に来たのだ

彼は食糧援助を人生のテーマのひとつ

として商務長官在任中には

ロシア革命直後の混乱により

苦しんで いるロシアや、第一次大戦直後

飢餓に直面しているドイツの人々に

食糧支援を提供している

ロシア援助に関しては、共産主義者を助けるのか

という批判もあったが、フーヴァーは、

「2千万人が飢えている彼らの政治が

何であっても彼らを食べさせるべきである」

と反論している

米国というのは常に、食糧が過剰生産の国

だからこれを食糧援助に回して助けてあげたい

と考える人がいるのだろう

敗戦後の日本は大変な食糧不足で

その食糧状況を視察に来ていたフーヴァーは

 「食糧の輸入がなければ、日本国民の食糧の供給量は

ドイツの強制収容所並みからそれ以下になるだろう」と訴え

マッカーサーに食糧援助を進言している

そして、マッカーサーに会ったとき

フーヴァーは第二次大戦について話し合っている

特に日本との戦争、米国から見て太平洋戦争とは

何だったのかという話をする

その会談が1946年の5月4日~6日と

3日間に渡って続いた

このときフーヴァーが率直に言う

日本との戦争のすべては戦争に入りたい

というマッドマン(狂人)の欲望であった

ルーズベルトのことをはっきり

マッドマンと書いてある

狂人の欲望、つまりあいつは気が狂っていて

気が狂っていると言っても精神異常ではなく

本当に戦争をやりたくてしょうがない

そういう意味で狂人だと言っている

その欲望の結果が今度の日米戦争になったんだと

私(フーヴァー)が言うと、マッカーサーは同意した

とはっきり書いてある

日本の外交政策が米国と相容れなかった

ことはあるだろうが日本が始めた戦争ではない

ルーズベルトが始めた戦争であり

ルーズベルトが日本を追い詰めて

やった戦争であるということ

マッカーサーはその通りだと答えた

1941年(昭和 16年)7月末に

日本軍が南部仏印に進駐サイゴンへ入城した

ことへの報復として米国が対日石油全面輸出禁止

の制裁強化に踏み切ったことを指している

これにより日本はより窮地に立たされることになった

マッカーサーもわかっていたのだ

ならば何故東京裁判をやったんだと

言いたくなるがこれは国の政策だから

ということなのだろう

そんなことはわかっているけど

トルーマンの意志やアメリカ世論

他の戦勝国の意向もあり占領政策

としてやったということ

経済制裁がすでに戦争の開始

であるというのは当時の国際法上から

も認められていた原則だったのだ

ちなみに後の 1951年5月アメリカ上院の

軍事外交合同委員会でもマッカーサーは

同様の発言を行っており

「日本の戦争は自衛戦争であった」ことを証言している

日本は自らの防衛のために戦争に向かわざる

を得なかったんだという日本に対する

まっとうな意見を述べている

マッカーサーは

日本人は工場を建設し多くの優秀な労働力を

抱えていたが原料を産出することができない

蚕を除いては国産の資源はほとんど何もない

彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油の産出が無く、

スズが無く、ゴムが無く、そ の他にも多くの

資源が欠乏しているそれらすべてのものは

アジア海域に存在していたのだ

これらの供給が断たれた場合には

日本では1000万から1200万人の失業者が

生まれるであろうという恐怖感があった

したがって、彼らが戦争を始めた 目的は

主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのだ

同じ委員会でマッカーサーは次のような発言もしている

太平洋において米国が過去100年間に

犯した最大の政治的過ちは共産主義者を

チャイナにおいて強大にさせたことだと

私は考えますと

マッカーサーがこのような考え方に到達したのは

朝鮮戦争が起き日本の地政学的重要性を

理解してからだと言われている

米国が日本を占領してみて初めて

過去半世紀にこの地域で日本が直面し

処してきた問題と責任を米国が代わって

引き受けなくてはならなくなった

共産主義の脅威と最前線で相対峙しなければならない

それまでの日本の立場に立ってみると

シナに対しても日本のやり方のように

やらなければならないという結論に達したとされている

しかし、フーヴァーによればそれは間違いだったのだ

実際のところマッカーサーは初めから

そんなことはわかっていたと思われる

しかし軍人なので上からの命令があれば

どこの国とでも戦わなければいけない

そういうことなのだろう

1941年(昭和 16年)の春から

日本はとにかく日米交渉、対米交渉で

非常に苦労していたなんとかして日本の国益も

メンツも守りながら米国と戦争しない方向を

探ろうと大変な苦労を続けていた

そこで、ルーズベルト大統領と直接会い

日米首脳会談でなんとか日米戦争を回避したい

と強く訴えた

しかし米国は妥協ではなく力により

日本を封じ込めるべきだとし

アメリカ国務省は日米首脳会談を

事実上拒否する回答を日本側に示した

フーヴァーはこうも書いている

「1941年9月の近衛首相の和平提案は、 

東京にいる駐日アメリカ大使も、駐日イギリス大使も、

祈るような気持ちでその実現を期待していた」 

にもかかわらずルーズベルトはこれを拒絶した

なんでなんだとフーヴァーもそれを知ったときの

感情を率直に書いている

この和平提案はアメリカの外交目的のほとんど

全部を達するようなものだった日本はもちろん

満州を放棄するとは言ってないが、満州のことも

アメリカの権益に便宜を図ってもいい

という打診があったとフーヴァーは書いている

今風で言えば日本がほとんどベタ降りしている

ようなものだったのだ

そして、フーヴァーは、戦争は日本が始めたんじゃない

日本は戦争を避けたかったんだとも言っている

何でこれ(近衛和平案)を受けられないんだという話で

これは常軌を逸しているとフーヴァーは批判している

開戦を回避する可能性がもうひとつあったのは

 1941 11月、天皇陛下が日米交渉を3カ月凍結しよう

と提案したときだった

天皇陛下のお考えとしては、いくら日米交渉をやっても、

現状では行き詰まっていて、どうしようもない。

来年の春まで3カ月間、日米交渉を凍結して、

また3カ月後の来年2月からもう一度交渉を始めよう

という提案です。そうしたら、国際状況がいろいろ

変わってきているから、お互いの考え方も変わるんじゃないか

ということだったと思います

実際それをやっていたら、おそらく日本は米国と戦争を

しなかったと考えられるのだ

というのは 12月ぐらいからナチス・ドイツが

対ソビエト戦線で負け戦に突入するからだ

日本の頼みの綱は、ドイツだったわけで

ドイツが劣勢になったと知ればどんなに

反米主義の人たちでもドイツと一緒にやろう

という話にはならなかったのではないだろうか

つまり対米強硬論者は後ろ盾を失い

真珠湾攻撃をやることも、対米戦争を

やることもかったのではないだろうか

しかし、残念だがこの提案もまた

ルーズベルトによって拒否されたのだ

今日はルーズベルトが日本の交渉を蹴り続け

何がなんでもソ連、英国、中華民国との

連携で日本を貶めたかったがわかる

マッカーサーとのやりとりを書いた

終戦で必ず日本国が悪かったような

報道をするが真実は米国人ですら

日本は悪くないと言っているのだ

我々は真実の歴史を勉強し

日本人として日本国の尊厳と

誇りを取り戻し世界平和への

真のリーダーとなるべき国と

再認識すべきだ

今日はこのくらいにしといたる

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