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当たり前の国にすべきじゃ

どうも村田です

国家として当たり前のこと

とはどういうことかと言えば

例えば古代ローマ帝国を

考えてみれば、本質的に

国家として取るべき対応を

とっていたと思うのだ

当時のパンデミックや戦争時

にはどうしたかということだ

ローマの古代共和制は独裁者が

出てはならないということで、

平時の執行官を2人任命した

平時はそれでいいだろうと、

これで独裁政治にならない

しかしながら戦争状態あるいは

パンデミック、大きな災害派遣が

出てきた時にはタイムリーに

動かないといけないし、場合に

よっては国民の主権も制限しないと

いけないということで期間を区切って

独裁者を作る法律を制定していた

のだ

だから戦争と災害派遣と

パンデミックの時には、自ら国民が

6ヶ月なら6ヶ月と期限を区切って、

あなたに全権を任せますから

よろしくお願いします、という

体制をとっていた

このようでなくては、緊急事態には

対応できない

このような古代ローマの共和制

というのは一つの人間の知恵だと

思うのだ

何が起こるか分からない

というのが緊急事態だ

だから本当に我々が想定

できなかったことが起きた時に、

新しく法律を延々と議論して

作るのか、ということだ

東日本大震災の時に自衛隊が

困ったのは、助けに行こうとして

ビルが倒れている、車は至る所に

あって先に進もうとして、

それを退けようとしたら車の

所有者をいちいち確認しろ、

財産権ですと、こんなことを

やっていたらタイムリーにはできない

だから国民を救うためにも

タイムリーに、しかも何が

起こるか分からないから、

そのときはあらかじめ法律と

いうものを制定できていなかった

ことで、できないことが沢山

出てくると思うのだ

その時に国民を救うために

憲法でもってある程度それを

保証していく、それが

緊急事態条項だと思うし、

緊急事態条項がない国

という方が少ないのだから、

古代ローマ帝国に習い人間の

知恵というものを取り入れた

方がいいと思うのだ

自民党案の9条の改正というのは、

これはまた別の議論があって

本当にそれで平時法制という

もので自衛隊が軽易に動ける

ようになりますかといえば

今の法制ではできないのだ

だから、それについては

どうするの?日本は憲法改正を

1回も78年間やっていないのだ

国民投票で憲法改正する

というのは国民主権の行使の

場でもあるわけだ

だから、まずは憲法改正を

やってみるということで全文を

変えることはできないだろう

それで憲法改正をやってみて

逐次不具合を見つけたら

憲法改正をやるという体制、

それは国民がきちんと

選択をすればいいのだ

国民投票をやって国民主権

というものを我々のものにする

そういう意味でも憲法改正に

ついてはどんどんやっていく

べきだと思うのだ

今日はこのくらいにしといたる

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