どうも村田です

天皇様が宗像に入った
というのは有史以来
初めてだったのだ
地元の悲願でもあった
のだけれど、5年前に
初めて宗像の地に足を
踏み入れられた
ということで、地域住民
というのは宗像の歴史を
知っているから、
ほかの地域と違う趣で
陛下をお迎え入れしたのだ。
これはやはり有史以来
初めてのことだったので、
「このことを何とか後世に
伝える方途はないかな」
ということで、
豊饒祭というお祭りを
つくったのだ
「海の豊穣」
などで使う
「豊穣」なのだ。
しかし、この豊饒の中には、
海だけではなくて、
「山、川、里、海、全部を
含めて豊かになりますように」
ということで、来られた日を
記念日にしてお祭りをしたのだ。
それと同時に、やはり豊かな
海づくり大会でいらっしゃい
ましたので、
お祭りの後には地域住民で
港に行って稚魚の放流行事を
したのだ。
これは、宮司の唯一の特典
なのだが、宮司がお祭りを
つくると、なかなか後輩たち
はやめられないわけなのだ。
これはおそらく100年、200年は
続くというふうに思うし、
宗像の歴史に照らし合わせると
やめられないようになるのだ。
本当に
「天皇様が宗像の地に」
というのは、ずっと悲願であった
のは間違いないのだ。
それは、やはり先人たちの
積み上げがあって結実した
話なのだ
私が独裁的にやったみたいに
言っているけれど、実は
先人たちの思いも含めて、
「このお祭りをやった方がいいな」
ということで始めているのだ。
先ほどから話を伺っていると、
すごく「物差しが違うな」と
感じるのだ。
普段、私たちが都会の暮らし
などで思っている時間感覚と
全然スパンが違って、
1,000年とか2,000年とか、
有史以来とか、そういう
時間の流れの中で生きて
いらっしゃるのだなと感じ
るのだ。
東京に長い間いた時には、
本当に「時間が足りない」
みたいな生活を送っていたのだ。
これは、昔神社の先輩に
言われたのだが
「神社界が見た短期的時間
って50年ぐらいだ」
と言われたのだ。
「50年後にもそれが正しいか
どうかという尺で考えろ」
と、私は先輩に教わったのだ。
50年でも長いのだがそれが
神社界では短期なのだ
当然
「100年、200年ということを
見越していろいろ考えろ」
とは言われてきたけれど
なかなかそれを実践する
というのは難しいのだ。
神社本庁におられ私が
大学生だった時に初めて
お目にかかって、
当時
「千年の森づくり」
というものを一緒にやらせて
いただいていたのだ。
東京湾のごみの埋立地が
いっぱいになって、臭いや
ガスなどが問題になっていた
時に、
明治神宮が人の手によって
作られた森であるということ
を見習って、
その埋立地を
「1,000年続く森にしようよ」
という活動を一緒にさせて
いただいていたのですが、
今、その流れでと言っていい
のでしょうか、宮司さんも
中心メンバーのお一人になって、
宗像で国際環境会議を始め
られて、間もなく10年になる
来年で10年なのだ
そもそも、どういう思いで
お始めになったのか?
小学生まで、この宗像の地で
育ったのだ。
30数年ぶりに宗像の地に
戻って、こののどかな風景は
小学校の時代から変わって
いなかったのだ。
変わっていないのも少し
問題はあるのだが、当然、
海も変わっていないと
思っていたのだ。
地元漁師さんたちといろいろ
コミュニケーションを取って
話などをしていくと、
「魚が取れない」だとか、
「魚の種類が変わった」だとか、
そういう話を聞くわけなのだ。
当然、東京で一緒にやっていて
環境問題の予備知識はあったので、
海水温度の上昇や磯焼け、
磯枯れというものは知識と
してはあったのだ。
海藻がなくなってしまう現象で
まさか玄界灘がそうなっている
とは思っていなかったのだ。
特に海というのは水で覆われて
いるから底は見えないし
「ひょっとして」と思ったら、
やはりご多分にもれず、宗像の
海もそういう状態にあった
ということなのだ。
「これを何とかできないものか」
という話もあったし、こちらも
「何とかしたいな」
ということで、海を再生する
ために宗像国際環境会議
というものを立ち上げた
ということなのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

