どうも村田です

今でも200艘(そう)は
欠けているけれど、
100艘(そう)は超えるので、
なかなか壮大なお祭り
なのだ。
地元の船を操る人たちは
漁師さんたちだから、海
というのは危険が伴うので、
やはり熱心に宗像のお祭り
には関わるというのがずっと
受け継がれているという
感じなのだ。
安全祈願というか、
漁師さんたちの話をここで
素直に言うと、
「宗像の神様は怖いもんね」
と言うわけなのだ。
怖いという言い方は、その
裏側に親しみもあるのだ。
だから、畏怖、畏敬の念が
ものすごくあるわけなのだ。
恐れなのだ
だから、自分たちが中途半端な
気持ちでやると危ないという
裏返しもあるし、
やはり畏怖、畏敬の念を
非常に意識して、お祭り
に臨んでいるという感じ
なのだ。
少し表現がおかしいかも
しれないが、神様との正しい
お付き合いの仕方という
感じなのだ。
都会にいるとそういう
感覚というのはないのだ。
現世御利益みたいなのは、
恋愛の神様などなのだ(笑)。
商売繁盛とかあり
しかし、それは本来の
神社の姿ではないので、
やはり神様は怖い面もあるし、
きちんとやっていれば恵みも
くれるということなのだ。
だから、昔の神との対峙
(たいじ)の仕方は、人を
非常に謙虚にしたし、
そういう怖いものがある
ということなのだ。
それがいい意味で
社会システムになって
いたのではないだろうか。
お祭りの話に移りたい
と思うのだが、
まず、今日の朝一番に
行われた古式祭とは
どういうお祭りかというと
これは宗像独自のお祭りで、
約800年続くと言われて
いるのだ。
「あかもく」というものが
あるのだ。
こちらの海藻だが
現地では「げばさも」と
言うのだ。
こういう海藻と、それから
これは九年母(くねんぼ)
というミカンの原種と
それから菱餅なのだ。
これは昔からのスタイルで、
これをお祭りするのだ。
これは、正直よく
分からないのだ。
あかもくは、地元の人たちに
「今が旬なんですか?」
と聞くと、
「旬じゃない」
と言うのだ。
海藻というのはものすごく
種類があるのだが、
「何でこれなんですか?」
と聞いても
「分からん」
と言うわけなのだ(笑)。
何か意味があるのだ。
しかし、やはり分からない
ものは「分からない」
と正直に言った方がいいし、
多分そのうち誰かが
いろいろ
「こうじゃないか、
ああじゃないか」
ということで、
答えに近いようなものを
出すかもしれないのだ。
今まではあまり食べ
なかったのだ。
「もさもさするから
おいしくない」
と言っていたのだが、
今はスーパーフード
として人気なのだ。
これを細かく刻むと
粘りの強いものになるのだ。
あかもくは漁師さんたち
にしてみれば雑草みたいな
ものだったのだが、
このごろ、美容と健康に
いいとかそういうことで、
今は逆に売れているのだ。
昔は売り物などになる
とは思っていなかったのだ。
粘り気が出たものを
パッケージにして売っている
パターンが多いのだ。
よく分からないけれど、
ぬるぬるしたものだとか、
粘り気のあるものは美容と
健康にいいのだろうか?
その後に鎮火祭だが、
こちらのお祭りは
どういうものなのか?
これも珍しいのだが、やはり
「火災が起きないように」
ということでやるのだが、
ご覧になれば分かるのだが、
おがくずに火をつけて、
それを水で消して、
土をその上に乗せて、
セリの葉っぱを乗せるのだ。
これも何か不思議な
お祭りなのだ。
これはいつからやっているか、
分からないのだが、ただ、
全国に神社が8万社あるけれど、
鎮火祭をやっている神社は
それほどないと思うのだ。
時期的にも12月で一般的にも
「戸締まり用心、火の用心」
などとやる時期であるのだ。
今と違って、火事とは人々
の生活に影響を与えるので、
やはりその昔は慎重に、
「火を出したくない」
というのはあったのだろう
とは思うのだ。
ここまで代々続いてきて
いるお祭りについて伺った
のだが、
実は新たに始められた
お祭りもあるそうですが?
ちょうど5年前に今の
上皇さまが天皇の時に、
宗像に
「全国豊かな海づくり大会」
でいらっしゃったのだ。
実は皇太子時代にも
いらっしゃったことが
あるのだが、
宗像というのは、いわゆる
天皇のお祭りを受けながらも、
天皇様が宗像に入ったと
いうのは有史以来初めて
だったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

