どうも村田です

その時々の日本人
が神宮が初めて
出現した瞬間に
出会える、
それが式年遷宮では
ないかなと思うのだ。
余談になるが、神棚が
あると思うが。今は
だいぶ少なくなって
しまったけれども、
そもそも神棚とは
何だったかというと、
これは、
伊勢神宮にお参りして
持って帰った御札を
置いておく場所なのだ。
そういう、伊勢神宮の
御札を置く場所として、
全国の家々で神棚という
ものが発達したのだ。
江戸時代で言うと、
個人ではなくて家で
数えているのだが、
離島まで含めて8割の家に
伊勢神宮の御札が祭られて
いたと言われているのだ。
つまり、伊勢神宮と
いうのはそういう意味で
言うと、
「日本人が日本人である
ことの自覚を、神棚を
通じてつくりあげていた」
というふうに言えるわけ
なのだ。
これが近代の国民国家、
国民としての一体感を
持った国造りをしていく、
土台を形成していた
とも言えると思うのだ。
話がだいぶそれて
しまっけれど、アテネの
話に戻すと、
とにかく日本の場合は
ギリシャなどと違って、
今、神話は本当に
生き続けているし、
毎年繰り返しそれが再現
されているというのが
特徴なのだ。
それで、最後の区切りは、
天孫降臨としてニニギノ尊
が降りてこられてから、
次はニニギノ尊から
3代目に当たる、
カムヤマトイワレビコノ尊
が奈良の橿原に行って
都を開き、
初代天皇に即位する
というところまでの物語
になるのだ。
これを
「日向三代と神武東征」
と言うのだ。
高千穂に天下った
ニニギノ尊は、山の神の娘
であるコノハナサクヤヒメ
と結婚するのだ。
そこで生まれた子どもが
ヒコホホデミノ尊で、その
ヒコホホデミノ尊は、
海の神である海神
(わだつみ)の神の
トヨタマヒメと結婚して、
さらにそこから生まれた
ウガヤフキアエズノ尊が
同じく海の神である
トヨタマヒメの妹と
結婚したのだ。
そして、何人かお子さん
がいらっしゃるのだけれど、
一番末っ子が
カムヤマトイワレビコノ尊
で、神武天皇ということに
なるのだ。
こうやって、日向三代は
その地域との結び付きを
強めながら九州の南の方
におられたのだけれど
頑張って九州の南の
地域を開発されるわけ
なのだ。
しかし、いくら熱心に
開発されたとしても、
やはり九州は日本の
南の端なので、
日本の国の中心者を
定めようとした神々の
意思はまだ実現した
ことにはならないわけ
なのだ。
そこで、
ウガヤフキアエズノ尊
の子ども、ニニギノ尊
の曾孫に当たる、
カムヤマトイワレビコノ尊
は、九州を出て大和、今の
奈良県橿原市辺りに移動して、
ここで都を定めて第1代
の神武天皇になられる
ということなのだ。
これを「神武東征」
と言うのだ。
この神武東征によって
日本国が建設され、
地上の統治者が確定
したことを持って、
神話に始まる
国家秩序形成の物語は
完成するわけなのだ。
神武天皇は、
大和の国の神の娘の
ヒメタタライスズヒメノ尊
と結婚されるのだ。
実は、この
イスズヒメノ尊の
お父さんが
コトシロヌシノカミ、
そのまたお父さんを
たどっていくと
オオアナムチノカミ、
つまりそれをさらに
いくとスサノオノ尊に
さかのぼるということに
なるのだ。
ここからうかがえる、
日本の中心者としての
天皇のイメージは、
さまざまの異質な要素
を排除せずに結び合わせる、
多元世界の統合者なのだ。
つまり、天から降りてきて、
地上の山の神、山の力を
結合し、海の力と結合し、
さらに大和に行って、
大和の地域の神と結合する
という形で、
次々にその多様な地上世界
をまとめていくという
姿なのだ。
そこは決してそこにある
多様性を排除するのでは
なくて、それを取り込んで
1つのものにしていく
という形なのだ。
ここでも面白いのは、
男系天皇というところと
重なってくるのだ。
男性は天からの縦の
一貫性を表わしているのだ。
布でいうと縦糸で
縦糸が切れてしまったら
布は形にならないのだ。
男性は縦糸だけれど、
縦糸だけでは何の面白みも
ないのだ。
布というのは、そこに
横糸で模様を付けていく
わけなのだ。
その横糸が女性の役割
なのだ。
皇室の外から入ってきて、
それは山の力、海の力、
それから地域の力を全部
皇室に持ち込んで、
皇室に多様性を
与えているのだ。
この横糸と縦糸の組み
合わせによって、皇室と
いう伝統的な織物の
原型が
どんどん作られて豊かに
なっていくというのが、
ここまでの神話の物語に
描かれた皇室の姿なわけ
なのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

