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その話なんじゃ

どうも村田です

封建社会というのは

殿様が支配するのだ

荻生徂徠は

「封建制は素晴らしい、

徳川家は最高だ」

と言うのだ

なぜなら郡県制は

人間関係が冷淡になる、

封建制は殿様が幾代

にもわたって1つの

血脈関係を作るから

日本人としては

いやらしさも生まれる

のだろうけれども、

そうではなくて

やはり殿様に対する

人情、愛情とかいう、

それは殿様が愛情を

抱え持っている人、

忠誠心も生まれるとか、

そういうことなのだ

その人間的忠誠心や

何かを生み出すもとが

封建なのだ

確かに封建制がなければ

忠臣蔵もないし、

それから平家物語も

ないかもしれないのだ

なぜならば、ああいう

忠誠心というのは

郡県制度では出て

こないのだ

そういう意味で、

人間的な血の臭いがする、

愛の匂いがする、親愛の

匂いがする、それが

封建制なのだ

ところが、封建制とは

プライベートなつながりを

持つ小集団社会という

ものを基盤としている

わけなのだ

ヨーロッパの場合には

騎士団でもそうだろうし、

日本の場合でも、

もちろん何々家に属し

ているということで、

それが最初の日立に

属しているところまで

つながってしまう、

という政策なのだ

それに対して、

そういうものがない

中国では非常に不安定な、

分割を前提とした同居、

共在団体にすぎないのだ

だから団体が作るおきて

というものが中国には

ないというのだ

でも、作ったとしても

誰も守らないだろうし、

守っても守らなくても

価値がないのだ

だから上からの命令的な、

統一的な行政の編成がある

だけで、

人間的な情によって支え

られている社会関係はない

ということなのだ

そういうことが古代から

今日までずっと変わらないと

見られていると、

学会でほぼ議論は出し

尽くされているとまで

言われているのだ

中国で2、3,000年かかった

ことを日本はほぼ300年で

おさらいした、

そういう国家であったと

述べているのだ

後追い国家というのは、

中国は高度官僚社会と

いうものが生まれて、

そしてそこでいろいろな

ものができるわけなのだ

けれど、日本はそのような

ものはできないので、それを

一生懸命学んだということ

なのだ

そして、封建社会というのは

ヨーロッパも日本も含めて、

後追い型の国家編成の中から

生まれてくるものである、

ヨーロッパは古代ローマを、

日本は古代中国をモデルとして

追いかけた不完全な国家で

あったのだ

そのため、封建制度を生み、

氏族社会や部族社会が

古代から抱えていた

小集団意識、村意識、忠誠心や

義理人情を失わなかったのだ

後追い国家だったから

封建制度が生まれた、

そうだろうか。

それに対して中国は、古代の

極めて早い時期にある一定の

段階を経過して、

高度官僚社会を形成したのは

事実なのだ

戦争がもたらす長期にわたる

軍事緊張を絶え間なく媒介と

しながら、小集団の持つ共存性

を否定して、

統一的に強制編成を行った

結果として現れたものが

中国の専制国家体制で

あるのだ

中国の専制国家体制と

いうものは、要するに後追い

国家ではなくて、早い段階で

命令的で統一的な国家ができて、

官僚体制もできてしまっていて、

そして上からそういうものが

かぶさり、そのまま戦争が

始まったので、

どんどん重ねているうちに

小さい封建的な村意識、

義理人情の社会をぶっつぶして

しまったということなのだ

自然発生的な共同体的な

ものを戦争で全部破壊

したのだ

そうすると、統治は上から

強権でやるしかないのだ

それが強力な官僚制という

ことなのだ

例えば、村がないというのは

こういうことらしいのだ

道路が壊れている、誰が

直すかというと、その道路に

面している土地を持っている

人に責任があって、やるべき

だということなのだ

村というものが共同でその

道路を管理して、村のお金で

やるという発想はないのだ

昔でいうと道普請で、

シナにはあれがないのだ

今もないし昔もなかったのだ

言っていることは

全部その話なのだ

だから、人情を生み出す

封建制のもとでの

そういうものがなくて、

果てしなく乾いた命令系と

統一意識と、あとは砂を

かむような個人主義なのだ

アメリカもそうなのでは

ないのかと少し思うのだ

砂をかむような個人主義と、

「星条旗のもとに」

というのといっぺんに

つながるのだ

さて、それで人格関係は、

皇帝制度などの問題に

つながってくるので、

いわゆる中国の皇帝は、

父親も家来で奴隷なのだ

皇帝以外は全部奴隷なのだ

そして、日本のように

皇帝の父親はそれなりに

偉かったり、皇帝の息子も

それなりに尊重されると

いうことではなくて、

ものすごく形式的に皇帝

だけが絶対化されるのだ

だから、それ以外は

「臣」と総称するわけなのだ

例えば、

「臣村田は皇帝陛下に

何々を申し述べます」

と言うのは許されるわけなのだ

ただ、もし私が皇帝でもない

別の人に「臣」と言ったら、

それで死刑になったという

ケースがあったのだ

それぐらい徹底していたのだ。

それは分かるのだがそれぐらい

徹底していて、それでは

階層秩序があるのかといったら、

中国にはないのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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