どうも村田です
アメリカ側はなぜ、
アヘン交易の禁止を
求めたのか
注目すべき事実であるが、
日米修好通商条約により、
日本国内におけるアヘンの
貿易は禁止されたのだ
元々、条約案にアヘンに
関する条文は入って
いなかったのだ
当時の清国がアヘン戦争を
戦わざるを得なかったほどに、
インド産のアヘンの蔓延は
アジアで極めて重大な問題と
化していたのだ
アヘン交易については、何と
アメリカ側、つまりは全権の
ハリスが完全な禁止を持ち掛け、
日米修好通商条約により
「アヘン交易は禁止」となったのだ
条約の第四条に、以下の
条文があるのだ
「アヘンの輸入は禁止とし、
交易目的で入国する米国船舶
のうち、4ポンド以上のアヘン
を積載する米国船は、その
超過分を日本政府の権限で
差し押さえ、廃棄する」
なぜ、ハリスはアヘン交易
の禁止を求めたのか
アヘン交易を認めると、
アヘン原産地であったインド
を支配するイギリスが有利に
なるのだ
イギリスは、インドで生産
された芥子から精製された
アヘンを清帝国に売り込み、
「茶」の貿易赤字の穴埋め
をしていたのだ
同じことを日本に対しても
やってくると、アメリカ側は
当然ながら予想したのだ
そうなれば、結局は日本市場も
インドや清帝国同様に、
「イギリスのグローバリズム」
の独壇場になってしまいかねない
当時の国力を比較すると、
イギリスは圧倒的にアメリカを
上回っていたのだ
何しろ、イギリスは正真正銘の
「世界の工場」であり、世界の
輸出の半分を一カ国で占めて
いたのだ
アヘン交易を認める、あるいは
協定関税制の関税率をあまりにも
低くしてしまうと、結局は
イギリス製品が日本を席巻
する羽目になるのだ
となると、わざわざ苦労して
日本に開国を強要したのが
無駄になってしまうのだ
全権ハリスは、日本というより
はイギリスを意識し、各種の
交渉を進めたのだ
日本が「アヘン交易禁止」に
なったのは、アメリカの
戦略上の都合なのだ
ちなみに、下関事件の余波で、
日本の関税率は5%に
引き下げられたと書いたが、
その後はやはりイギリス製品が
日本市場を食い荒らす
ことになったのだ
アメリカ製品は、なかなか
日本市場に食い込めなかったのだ
江戸末期以降の日本は、
どこの国に対して貿易赤字を
続けたのだろうか
特に19世紀は、イギリスなのだ
結局、生産性の違いから、
イギリス製品に対しては日本、
アメリカを含むどの国の製品も
かなわなかったのだ
対英貿易赤字が終わるのが、
1914年
1916年以降はむしろ日本が
イギリスに対して貿易黒字に
なっているのだ
理由は何かと言えば、もちろん
第一次世界大戦なのだ
欧州の大戦争に巻き込まれた
イギリスの生産力は、アジア
市場や日本市場ではなく、
自国の軍需産業に振り向け
られることになったのだ
総力戦を戦っている以上、
当たり前なのだ。
イギリスは対日輸出を増やす
どころか、むしろ軍需以外の
工業製品を日本から輸入する
羽目になるのだ
自国の供給能力は、全てを
軍需品に投入しなければ
ならなかったのだ
それまでイギリスの支配下に
あったインド、東南アジア
といった地域にも、日本や
アメリカが「自国製品」を
売り込んでいくのだ
第一次世界大戦が終わった
とき、世界最大の
対外純資産国はアメリカとなり、
そして二位が何と日本だったのだ
歴史は英雄では動かない。
経済が動かすのだ
厳密には、経済的な動きに
英雄が乗っかることで、歴史が
紡がれるのだ
とはいえ、一般的な史書は
「英雄の物語」で、その
基盤たる経済は無視されるのだ
結果的に、様々な誤解が生じ、
人々に共有されてしまうのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる