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片棒を担いだんじゃねえか

どうも村田です

明日は終戦記念の日です

俺は毎年のことだが

靖国忠霊祭に参加する

靖国に眠る我々の先人である

英霊に対し哀悼と感謝を申し上げに

参拝に行く

日本人同胞には靖国へ来れない

方にも是非正午にはいる場所で

構わないので黙祷にて感謝を

捧げてもらいたい

それが日本人としてすべき

義務であると俺は思うのだ

話は国連の正体に戻るが・・・

中共によるチベット侵攻の話を書く

1949年国共内戦で中国国民党に

勝利した中国共産党が中国を掌握した

1950 10中国共産党の4万の軍隊が

チベットのカムド地方に侵攻ここを

占領し翌年にはチベット全土を制圧した

中共政府とチベット政府の間で

「十七か条協定」が「締結」され

チベット軍は中国人民解放軍に編入され

チベットの全域が中共の支配下に

入ることになった

しかし、これより前チベットは

まぎれもなく独立国であったことを

忘れてはならない

亡命チベット人のペマ・ギャルポ氏は

「チベットは歴史が始まってから

ずっと独立国家であった」と主張している

初期の国連の催しにも独自の国旗を

持って参加していた

チベットが独立主権国家として存在

していたことは2千年以上も昔の

歴史書にも記されている

近年では、1913年にモンゴルとの

間に蒙蔵条約が14年には英国との間に

シムラ条約が締結されている

このようにチベットは完全な独立国家

として認識されていたのだ

第二次世界大戦中、

米国のルーズベルト政権は

蒋介石政権への武器供与のために

インドからチベットを経由して重慶へと

到る道路建設の許可をチベット政府に

要請したことがある

チベット政府は第二次世界大戦

において中立を貫く政策を敷いていた

ので米国の要請を拒否している

実はチベット国内では、日本の勝利を

祈る仏教祈祷が行われていて

チベットは親日的な態度を保持した

中立国だったのだ

こういう外交的経緯から見ても米国も

チベットを独立国として認識していた

ことがよくわかるだろう

もしチベットが米国の要求を

第二次大戦中に受け入れて

道路建設を許可していたら

チベットは親米国となり1950年

中国共産党によるチベット侵略は

なかったかもしれない

日本への同情が、後に侵略の

間接的原因となったことを思えば

日本人としては心が痛むものだ

第二次世界大戦が終わった翌1946年

チベット政府は連合国諸国に使節団を

送り47年にインドで開催されたアジア

関係会議にも代表団を送り込んだ

また、インドの独立を契機に

チベット政府は英国、米国、インド、

中共各国にも通商代表団を派遣している

このときの通商代表団は

チベット政府発行のパスポートを

持って各国に入国している

つまりはこれらの国々はチベットが

独立国であることを事実として

認めていたのだ

しかしながらチベットの悲劇は

起きてしまった

この独立国に対して中共は問答無用で

武力侵略したのだ

このときも国連は何の役にも立たないのだ

中国人民解放軍4万が侵攻し

当時独立国であったチベットの

義勇兵8千人が果敢に抵抗したが

圧倒的な数の中共軍の兵力に敗北

この戦闘でチベット人兵士の半数に

当たる約4千人以上が殺されたと

伝えられている

1950年 10 26インド政府は

中共がチベットにおいて軍事力を

行使したことに抗議

この侵略は中共の利益にならず

平和にも貢献しないと発表した

英国政府の外務次官アーネスト・

デイヴィスが英下院で声明文を出し

英国は中共のチベット侵略と武力行使に

対して遺憾の意を表し

〝インド政府がとった立場を完全に支持する〞

と述べている

そして、チベット政府はすでに

誕生していた国連に救いを求めたのだ

チベット内閣および国民議会は

「極悪なる侵略的行為」に抗議を行い

通商代表団団長はそれを国連へ打電した

しかし、チベットの長年の友人である

はずのインドの代表が驚くべき発言をした

「この問題を国連総会の場で討議するのは

ふさわしくない」という発言だ

国連総会での討論抜きでチベット・

中共・インド3方に有利な解決を

もたらすことができると主張

チベットの提訴をいったん延期するよう

国連総会の委員会を説得したのだ

このとき、英国代表までもが

インドの提案を支持した

その後も救いを求めるチベットの

行為は国連の場でついに取り上げられる

こともなく、完全に黙殺されてしまった

国連は中共のチベット侵略について

討議することすらしていない

これが歴史上の事実なのだ

当時インド、英国、チベットの3カ国は

条約を結んでいた

つまりインドと英国はチベットを

独立国として承認していたのだ

その2カ国の代表までがチベットの

法的地位は不明瞭であると述べている

国連はこのようにチベットを

救えなかったのだ

その後、国連は、59年、 61年、 65年の

3回にわたり中共によるチベット侵略

の避難決議を出す

中共が台湾の中華民国に代わり

代表権を得る71年までは

中国共産党のチベット侵略を

非難する決議を出せた

その決議は通るが言葉

だけなのだ

それ以降国連がこのことについて

調査や委員会での報告をした等

の話は一切ないのだ

国連は全く役に立たなかった

それどころかこの侵略を黙認する

ことによりその片棒を担いだ

こう言っても過言ではない

今、中共が国連の常任理事国と

なっている現状では事態は

どうにもならないところまで

きているのだ

今言われている台湾有事が起これば

台湾は断固として戦うと思うし

日米も参戦するだろう

こんな事態になったとしても

国連など何もできない

万が一台湾が侵略されても

決議のみで何もできない

こんな国連に金を払う意味がどこにあるのか

国連など脱退し日本の友好国で

真の平和国際機関を作れば良いのだ

真の世界平和は真の日本精神を

発揚してなし得るものだ

ちなみに明日は記事更新はない

明日は靖国忠霊祭に参加するからだ

今日はこのくらいにしといたる

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