どうも村田です

「そうか。教科書を
調べればいいんじゃ
ないか」というふうに、
思い付いたわけで
それはどうしてかというと、
この当時、平成に入って
からすぐ、
中学校の歴史教科書に
一斉に従軍慰安婦の
記述が載るということが
あったのだ。
これは、当時の日本と
韓国の政治的な関係に
よって、教科書が書き
換えられたわけなのだが
そのことでいろいろ
調べていた時に、
「教科書って、当時の
政府の都合で書き換え
られちゃうんだな」
ということに気が付いたので
「じゃあ、明治政府なり
大正の政府なりが、国民に
とって考えてほしい歴史観
があるなら、当然教科書に
書くよな」ということで、
「それを調べれば
いいんじゃないか」
ということで、小学校の
教科書を調べたわけなのだ。
何で小学校の教科書か
というと、当時の国民の
ほとんどは小学校しか
行かないからなのだ。
そして、多分、今よりも
圧倒的に教科書の影響力が
強かったと思うからなのだ。
テレビもない、ラジオもない、
インターネットもない、
本屋もないとすると、
教科書が与える
影響はすごかっただろう
と想像できるわけなのだ。
では、天皇のことについて
書いてありそうな教科書
とはどれかというと
「修身」、
今でいうと「道徳」、
それから日本史なのだ。
だから、
「この2つを調べれば
いいんじゃないか」
ということで、
小学校の教科書に注目して、
それを調べてみたのだ。
そうすると、天皇に
ついての書きぶりというのは、
大体3段階に変化していて、
まず、現人神(あらひとがみ)
と同じ意味で使われた
「現御神(あきつみかみ)」
という言葉が出てき、
村上重義さんの中でできた
「八紘一宇」が出てくるのは、
最後の段階の昭和16年以降
だということが分かったのだ。
その話をもう少し詳しく
すると、教科書が国定
教科書になったのが
明治37年、つまり1904年
以降でここから調べ
始めたのだけれど、
この第1段階の教科書では、
天皇については2つの
語り方があって、
1つは、
「天皇陛下は天照大神
(あまてらすおおみかみ)
の子孫である。
神様の子孫だ」
という意味で、これを
私は簡単に
天皇「神孫」論と
名付けたのだ。
もう1つは、
「天皇陛下には徳があって、
国民には忠義があった」
ということなのだ。
「この天皇陛下の徳と
国民の忠義によって、
この国の歴史は続いて
きたんだ」という形で、
天皇と国民の関係を
位置付けるのだ。
それを私は
君臣「徳義」論
と名付けたのだけれど、
この2つの柱で
書かれているのだ。
第2段階は、実は
大正10年、つまり
1921年以降で、
ここになると、先ほどの
記述に加えて、
「皇室はいわば本家で臣民、
国民は分家のようなもの
である。天皇は親で国民は
子のようなものである」
という、
「家族」という
アナロジーで、天皇と
国民の関係を考える
「家族国家」論が
付け加わるということ
なのだ。
そして第3段階が実は
昭和14年以降で、ここで
天皇を神とする記述が
入ってくるのだけれど、
明確に天皇が現御神
(あきつみかみ)である
という記述が加えられる
のは、
大東亜戦争に突入する
昭和16年なのだ。
それから
「日本が世界を導く使命がある」
という考えの
「八紘一宇」
という言葉が出てくるのは、
昭和18年以降だという
ことが分かったのだ。
だから、教科書から
分かったことを整理すると
2つで、
1つは
「現人神(あらひとがみ)、
八紘一宇は、明治以来ずっと
教えられてきたわけではない。
だから、村上重良さんが
言っていた
『大日本帝国憲法の制定
によって、天皇の属性は
歴史的な伝統をなしてきた
人間である宰相から、
一神教的な現人神
(あらひとがみ)
に変わった』というのは、
間違いだろう」
ということなのだ。
それから、最初の方の
教科書で、すでに
「天皇は神の子孫である」
ということが書かれている
のに、昭和16年になってから
現御神(あきつみかみ)
という言葉が入ってくる
ということは、この
神の子孫と現御神
(あきつみかみ)の間には、
かなり差があるだろう
ということなのだ。
だから、次に
調べなければいけなかった
のは、
「じゃあ、教科書は
どうしてこういうふうに
変化していったのか?」
ということなのだ。
天皇を神の子孫とする
天皇「神孫」論と、
現御神(あきつみかみ)
とする
「現人神(あらひとがみ)論」
とは、どんな違いがあるのか
ということを、次に
調べなければいけなく
なったわけなのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

