どうも村田です
初代の神武天皇
から持統天皇、
40人の天皇皇后に
ついて記して、プラス
『神代記』が
あるから、『日本書紀』
の対象とした年代は、
持統天皇の崩御が
703年だから、
神武天皇は大体250年
ぐらい、
それと天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
が活躍されていたころとは、
多分200年前後では
ないかと思うのだ。
だから、200年から700年
の500年にわたる日本の
古代を『日本書紀』が
まとめているということ
になるのだ。
『日本書紀』
自体には神武天皇の
即位というのが
「紀元前559年2月11日」
ということになっている
のだが、実際のところ
儀鳳暦に基づいている
とはいえ、天武天皇が特に
好まれたのが儀鳳暦で、
その中での儀鳳暦の
根本となるのが「1,340」
という数字なのだ。
これが中枢というか、
天文学的に暦として
1,340というのを使うと、
すべての天体の動きが
解明できるというのだ。
そこから来ているのだが、
いずれにせよ、200年
ぐらいから700年ぐらい、
その辺りを『日本書紀』
がまとめてくれている
と思っているのだ。
『日本書紀』
自体は、神功皇后、
女王卑弥呼、
『魏志倭人伝』
で有名な卑弥呼に否定
してしまったものだから、
大変無理を重ねているのだ。
そんなことで日本の古代
の500年を記した国書で
あるというふうに考えて
いいと思うのだ。
『神代記』は上下で
書かれているのだ。
『神代記』
に出てくるのが神様なのだが、
人格神というか、人格を
持った神々であると解釈を
しているのだ。
というのは、日向三代に
ついても、本当は『神代記』
に全部入っているわけだが、
みんなお墓に入っている
ということなのだ。
だから、お墓に入って
いるということは、
死後祭られている
ということだから、やはり
人格を持った神というふうに
なるのだ。
そうすると、天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
も当然人格を持った、
実在の人物ではないか
というふうに思っているのだ。
それをベースにして話すと、
『神代記』の上だが、
これは例の天地創造から
イザナギ、イザナミノ
ミコトから神々がよく
出入りしているのだが、
その後天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
が誕生ということになる
のだ。
しかし、上巻のメインは、
高天原(たかまがはら)
という、
大和朝廷の前身だと
思うが、高天原
(たかまがはら)政権
による全国統一が
ここから始まったのでは
ないかということなのだ。
その最初のケースが、
出雲の国の征伐というか、
葦原中国平定
(あしはらのなかつくに
へいてい)というのが
メインテーマになってくるのだ。
具体的には、まずは
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
の第2子になる、
天之菩卑能命
(あまのほのひのみこと)
というのが選ばれて、
出雲の国へ下ることに
なるのだ。
出雲に下って、有名な
大国主命
(おおくにぬしのみこと)
の政権に対して、国譲りを
求めて戦いをすることに
なるわけだが、
大国主命
(おおくにぬしのみこと)
は人格的に立派な方だった
とは思われるが、
肝心の天之菩卑能命
(あまのほのひのみこと)
が籠絡されて、
3年間復命が何もなかった
と言われているのだ。
だから、取り込まれて
しまって、それに対して
高天原(たかまがはら)
の政権は
二の矢、三の矢、結局
第5次にわたって出雲を
攻めることになるのだ。
最後に、いよいよ
大国主命
(おおくにぬしのみこと)
が追い詰められて自裁する
ということになるのだ。
大国主命
(おおくにぬしのみこと)
については、
「因幡の白兎」
とかいろいろな物語を
残してくれているのだ。
『日本書紀』の場合、
大和の国からすると、
出雲の国というのは
やはり文化的にも高かった
のではないかと思うのだ。
だから、ほかの国の
神話を取り込んでいる
というのは出雲だけの
話なので、
これは当時出雲の国が
いかにハイレベルな国
だったかというふうに
思われるわけなのだ。
そして、大国主命
(おおくにぬしのみこと)
は国譲りに対して戦いに
負けてきたことは事実なのだが、
息子といろいろ相談
したりした結果、
国を譲るということに
同意して、
「その代わり私の魂を
ちゃんと祭ってくれ」
という要求を残すことに
なるわけなのだ。
それに高天原
(たかまがはら)
の軍勢が同意して、
出雲のいわゆる
出雲大社を建てる
ことになるのだ。
これは日の隅の宮
というのだから、
守護を祭った宮殿
ということになるのだ。
それは、高さは
100メーター以上の
すごい神殿が
宍道湖の西側、
出雲の地に建てられる
ことになるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる