どうも村田です
昭和27年の4月28日に
日本は独立を回復して、
GHQは日本からいなく
なり、
現実にはもうその前ぐらい
からなのだが、土曜、
日曜は家に帰ったり、
あるいは仕事を見つけて、
あるいは頼まれて巣鴨の
拘置所から会社に行ったり
という人もかなりいたのだ
昭和29年には完全に
仮釈放ということになって、
彼は戦後普通の生活に戻る
わけなのだが、
大変に人気のある人だから、
例えば二・二六事件の
起こる前だが、
二・二六事件を起こした
将校たちが正月に彼の
自宅に訪ねていったり
するのだ
そうすると将校たちが
玄関に入って、
「おい、荒木はおらんか」
ということを怒鳴るのだ
こちらは少尉か中尉なのだが、
相手は大将あなのだ
そう怒鳴るのだが、にも
かかわらず荒木さんは
にこにこして出てきて、
「若いもんは元気がいい
のう。わしはここじゃ」
とか言うわけなのだ
そうすると将校たちが
「閣下、失礼いたしました」
と言って、
「まあ、こっちに上がって、
1杯飲め」などということで、
大変に人気があったのだ
戦後も、なぜかその人気が
衰えずに、明るい
キャラクターだったという
ことだったと思うのだ
「しゃべりだすと止まらない」
というふうにも言われていまた
なだ。
そういうわけで人気があって、
彼は戦後も仮釈放になった後、
日本中のあちこちに行って
いろいろな講演会をして
「日本精神を取り
戻さなくてはならない」
というような、
本に書かれていること
について、敷衍(ふえん)
した、戦後バージョンの
ような話をしていたわけ
なのだ
昭和41年に講演に行った
奈良県で、講演の後に
心臓発作で亡くなったのだ
89歳だったのだ
大変にそういう意味では庶民に、
国民に親しまれた将軍であった
と思うのだ
記憶があるのだが、物まね
大会というか、昭和40年代か
何かにどこかの物真似の民放の
番組があったと思ったが、
そこで荒木大将に扮した
人が出てきて
「あっ、荒木大将だ」
と言って客席から歓声が
上がったことがあるのだ
昭和40年代は多分荒木さんは
亡くなっていたかもしれない
けれど、そのぐらい戦後も人気
のあった人であるのだ
この本が書かれた時代に
ついて説明をしていきたい
と思うが、
この本を書かれた昭和7年、
8年ごろというのは、
大変に日本の中では殺伐
とした時代だったということは
言えると思うのだ
関東大震災が終わってから
9年、10年たっていて、
復興の途についたとはいえ、
昭和4年、1929年だが、
アメリカのウォール街で
株価が大暴落するという
いわゆる大恐慌の時代
が始まったのだ
世界恐慌で日本にもその
大不況の波が押し寄せてきて、
昭和5年にはロンドン
海軍条約が結ばれ、
日本の軍艦のトン数が
アメリカやイギリスに比べて
7割、あるいは6割というふうな
ことが決められたのだ。
この不況はサラリーマンは
もちろんだが、国内的には
特に農村に大きな打撃を
与えて、
農村では自分の娘を身売り
しなくてはならないと
いうような状況が起こったのだ
不況打開という意味もあって、
昭和6年には満州事変が起こり
起こったというか、日本の、
先ほど申し上げた石原莞爾は
関東軍の参謀だったのだが、
高級参謀だった板垣征四郎
大佐と2人で柳条湖事件を
起こして満州事変を起こしたり、
さらには昭和7年1月には
第1次上海事変が起こって、
さらに昭和7年には
満州国が独立したのだ。
5月には五・一五事件が
起こるというような
大変騒然とした国内情勢で
あったのだ
さらに、
昭和8年には日本は
国際連盟を脱退するという
ような孤立化の道を歩み
始める1つの時代でもあった
わけなのだ
日本の政党政治という
ものはかなり行き詰まって
いて、金輸出を解禁したり、
あるいは
その後直後にまた
金輸出を今度は止めたり、
経済政策がころころ変わる
というような状況だったのだ
このころは政友会という
政党と、それから憲政会
から名を変えた民政党
という政党のこの2つに
おける党派闘争が非常に盛んで、
アメリカでも共和党と
民主党で政権が変わると、
官僚の上の方はみんな
変わったりするのだが、
当時の日本はほぼ毎年なのだ
アメリカの場合には4年
ないし8年で大体8年間、
同じ大統領が再選されて
やるが、
このころの日本は毎年
変わるのだ
ほぼ毎年変わるのだ
その結果、官僚も入れ替わるし、
警察署長も入れ替わる、
極端な場合、町の駐在所の
人も民政党系から政友会系に
変わったりするというような
ことで、
政党政治そのものは政策では
なくて、ある意味では党派、
党利党略にうつつを抜かして
いて、まともな政治ができて
いないというような状況なのだ
こういうことに陸軍が非常に
怒りを持つわけなのだ
特に現場で、新兵で入って
くる兵隊さんを扱っている
少尉、中尉、大尉といった
小隊長、中隊長は、当時は
戦時体制ではないから、
小隊長とは言わないが、
中隊長やあるいは中隊付将校
たちは自分が実際に目の前で
扱う20歳~ 21歳の兵隊たち
の実家が、ほとんど農家なのだが
それが
「自分の妹が身売りに出される。
もう親たちもまともに食えない。
そういう中で自分は兵隊に取られる。
もう誰も農作業ができない。
畑仕事ができない」
というような状況で、本当に
悩んでいる、困っているのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる