どうも村田です

孫文が東京で中国
革命同盟会を組織
した時、
彼の頭の中では、
満州は中華民国の
一部とは認識されて
はおらず、
革命資金を得るために
日本政府に満州を
買い取ってくれるよう
打診しているくらい
なのだ。
満州の現状は、
諸民族が雑居し混在
している状態で、
年間100万単位で
人口が増え続け、
3,000万近くになろう
としていたのだ。
日本が満州に保有
している権益を守ろう
とし、
片や中国が革命外交に
よる失地回復運動を
仕掛けてくるとすれば、
双方の争いは今後も
延々と続いて終わる
ことがないだろう。
それならば、いっその
こと、満州に住んでいる
20万の日本人が先頭に
立って
諸民族を糾合し、
日本のものでもない、
中国のものでもない、
新たな独立国家を
造ってしまえば、
問題は一挙に解決する
のではないか、
新たな国家が独立すれば、
日本はそれに全ての
権益を返還する。
たとえそれが武力解決
の手段で達成された
としても、
そこにはアジア人の
アジアによる五族協和
・王道楽土の天地が
出現するのではないかと
満州に居座っている
軍閥の親玉、張作霖の
苛斂誅求
(かれんちゅうきゅう)に、
満州の3,000万の民衆は
苦しめられ、怨嗟(えんさ)
の声は満ち満ちているのだ。
古来から中国では
「良い人間は兵隊
にはならない」
ということわざがあり
国民皆兵による徴兵
制度のない中国では、
軍隊は全て傭兵に
よって維持されていて、
そのレベルの低さは
例えようがないのだ。
民衆に対する略奪、暴行、
殺人、誘拐なんて、
これは日常茶飯事で
そもそも張作霖自身が
馬族の群れから身を
起こした成り上がり
なのだ。
彼は文盲で読み書き
ができなかったのだ。
息子の張学良は御曹司
として帝王教育を受け、
外国留学も経験しているが、
アヘンの常習者で酒と
女に溺れ、酒池肉林の
贅沢三昧にふけって
いるのだ。
とても民を統治できる
頭領の器ではないのだ。
重税と紙幣の乱発で
民の生活は圧迫され、
歳入の8割が軍事費に
費やされ、
軍隊は完全に張学良の
私兵集団と化している
のだ。
こういった状況の中で
あれば、たとえ日本の
主導のもとに武力だけの
手段で
新しい国家を建設した
としても3,000万の民衆
から歓呼の声をもって
迎えられるのではないかと、
かつてコロンブスが
新大陸を発見して以降、
アメリカは
ヨーロッパ諸国に
とって文字通りの
新世界、新天地と
なったのだ。
ヨーロッパ世界の伝統と
しがらみの中では到底
解決できない諸々の矛盾が、
アメリカという実験国家
において弁証法的に
発展進化を遂げて解決
されたからなのだ。
石原莞爾(かんじ)
の構想はアジアに
おける合衆国の建国
だったのだ。
あの当時の混乱と混迷
の渦巻く東アジアの
情勢の中で、
欧米帝国主義の外圧を
かわしながら、
アジア人の
アジアの理想が実現
できる場所を満州の地
に求めたのだ。
それともう1つ
見落としてならない
のは、
1920年代の九カ国条約
体制から満州事変、
大東亜戦争にかけて、
日本は極東における
共産主義の攻勢と浸透を
防ぐための戦いを強い
られたということなのだ。
満州国の建国はその
1つの表れだったと
言える面さえあるのだ。
満州国の出現によって、
極東にかなり大きな
安定勢力が出現したのだ。
それは北方からの
共産ソ連の脅威に対する
防波堤になるとともに、
中国大陸の国共内戦の
混乱が波及するのを
防ぐ新天地ともなり
当時の中国大陸の混乱
の中に投げ出された
中国の民衆からすれば、
満州国は平和ゆきわたり、
民の生活は安定向上し、
工業大国へ向けて急成長
しつつある別世界だったのだ。
彼らから見れば、それは
大陸の一角に突如として
出現した花咲くオアシス
であり、天国なのだ。
この花咲くオアシスに
憧れて、中国本土のみ
ならず東アジア各地から
人々が続々と満州国へ流れ
込み、わずか13年間で
人口は3,000万から5,000万
に急増したのだ。
まさにそれはアジアに
おける合衆国として
磐石の土台を築いて、
アジアの歴史の新たな
輝かしい局面を切り開く
実験国家となるはずだった
のだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

